NHK連続テレビ小説「あさが来た」
ネタバレあらすじ2週
2015年10月7日(水)放送
あさが来た2週テーマ「二つの花びら」

あさが来た ネタバレあらすじ 2週・9話 【10月7日(水)】

翌朝、あさは意を決し、部屋にこもって新次郎への文を書きます。

別室では、父・忠興が加野屋への見舞状を書いています。
そこに妻・梨江がやって来て、姉・はつのお付きには、うめをつけてほしいと言い出します。
山王寺屋息子・惣兵衛が母・菊の言いなりになっている姿を見て、はつを守れるお付きが必要と考えたのでした。
忠興は、あさのお目付け役はうめでなければ勤まらないと、突っぱねます。


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そんな口論の最中に、あさは墨だらけの顔で、書き上げた文を持ってやって来ました。
そして、加野屋に出す文に、これを入れてほしいと、元気のよすぎる文字で「新次郎さま」と書かれた文を差し出すのでした・・・

店に出て、忠興はあさの文を見ます。そこには、はつを思う心情が表れていました。
はつは嫁ぎ先山王寺屋・惣兵衛の人柄事が分からず不安そうなので、同じ大阪に住む新次郎に、惣兵衛について知っている事を教えてほしいと書いてあります。
・・・余計な事を」と、忠興はその文を破ろうとしますが、ふと思いとどまり一緒に飛脚に渡すのでした。

その頃、加野屋では・・・
長男・正太郎の容態は一向に回復する気配がありません。枕元で見舞う新次郎に、自分はもうだめかもしれない、その時は、末の榮三郎を支えて加野屋を守って欲しいと、正太郎は遺言めいた事を云うのでした。

一方、あさは、新次郎からの返事を待ちますが、ふた月たっても返事がありませんでした。
そんな中、親戚の商家に修業に出ていたあさの弟・久太郎が帰って来ました。
そして、店の者から今預かったと、あさ宛に「手紙」を渡します・・・

新次郎からの文かと嬉しそうに受け取るあさでしたが、その手紙は、異国からの手紙。差出人は「五代才助」大阪であさとぶつかった、あの薩摩藩士からでした。才助は、今、イギリスにいて女性たちがハツラツと生きている様を見て、あさを思い出しペンを執ったと、才助の写真を添え送ってきたのでした。

あさ_ふみ08しかし、母・梨江は、もうすぐお嫁に行くのに殿方から文やなんて!お父はんに知れたら大変やと、その手紙を見破り捨ててしまいます。

異国からの手紙、普段のあさなら興味満々の事ですが、今は新次郎からの返事の無いことの方が気になるあさなのでした・・・

つづく

あさが来た 2週・9話・感想まとめ

今朝も、あさの天然さが笑いを誘う、軽快な出だしでした。こういうのは、楽しくっていいですね。
あさ_菊1W4wa予告ところで、今週の7話で、山王寺屋の菊さんが
京都もだいぶ物騒なとこになってしまいましたなぁ
なんて言ってましたが・・・。

そうなんです、この今井家のほんわかムードとは打って変わって、歴史上の日本はとんでもない時代に突入しているのでした。ちょっと、ドラマの外の話をまとめてみます。
 

▮【今日の日本史?方面】

1800年代になると、イギリス・ロシア・オランダ・アメリカなどの諸外国から開国を求められます。有名なのはアメリカのペリー来航(1853年威嚇、1854年条約締結)ですね。

国内では幕府の保守派と改革派の対立、その中で「桜田門外の変(1860)」に代表される、幕府の保守派重鎮の暗殺が繰り返されるなど政治が荒れていました。

さらに、外国人排斥思想の「攘夷・じょうい(外敵を排斥)」思想の志士たちによる、外国人襲撃が横行し、多くの外国人が殺傷されます。
また、同じ藩の中も「尊王・そんのう(天皇を尊ぶ反幕府)」派や「公武合体(朝廷と幕府で一体し外敵に向かう)」派など、一本化できず揺れ動いていました。

やがて時代は、「尊王攘夷」のうねりが大きくなってきます。その攘夷派の筆頭格が「薩摩藩」「長州藩」でした。
薩摩藩は1863年生麦事件の解決を迫るイギリスと、鹿児島湾で戦闘になります。翌1864年、長州藩は攘夷実行の為、外国船を砲撃します。

その事で、二つの事が起こります。薩摩・長州共に「外国は強い・・・(>_< )」と実感。
一方、イギリスは「お、なかなか手ごわいぞ・・・(-_-;)」でした。
その後、薩摩・長州は攘夷をやめて討幕を旗頭にし、イギリスからの支援を受けます。
一方、幕府側にはフランスが支援するという、英・仏の代理戦争的進展となって行きます。

そしてこの物語の時代、京都は諸国の「尊王攘夷派」が暗躍し「天誅」という名の凄惨なテロ行為が繰り返される町となっていました。
そんな歴史の中での、1865年(慶応元年)、今日のはつとあさの物語なのでした。
 

▮【今日の五代才助方面】

薩摩藩士の五代才助がどうしてイギリスにいるんでしょう??という疑問は、前段の歴史的背景が物語ってくれています。
史実にも
「1865年、五代友厚は32歳の時にイギリス-フランスへ16名の留学生を引率した。ヨーロッパ各国を回り、各国の視察をしながら紡績機械や武器の買い付けなどをした。」とあります。

そして、3年後の1868年に「明治」と改元されますが、戊辰戦争(1868~69明治2年)、廃藩置県(1872明治4年)、西南戦争終結(1877明治10年)、内閣制度の発足(1885・明治18年)と、先はまだまだ多難な時を向かえます。

そんな中で、五代才助は明治政府高官として、大阪の復興と発展に大きく尽力し「近代大阪経済の祖」と言われるまでになります。
そんな才助からの手紙です、今後のあさとのかかわりが楽しみですね。

ちょっと歴史を振り返りつつ、明日へとつづきます。

ではでは

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