とと姉ちゃん ネタバレ感想あらすじ 13週74話【6月28日(火)】

NHK朝ドラ「とと姉ちゃん」
ネタバレ感想13週74話
2016年6月28日(火)放送
とと姉ちゃん13週テーマ「常子、防空演習にいそしむ」

とと姉ちゃん ネタバレ感想・最終回まで13週74話 

ある日の事・・・
「おもちゃとなら交換しても良い。」と言ってくれた農家の元へ、物々交換を頼みに行く事にしました。今回は、美子も含め三人で行く事にし、美子の手には風呂敷に包まれた“ままごと道具”が大事そうに抱えられていました。

その農家の女の子は、“ままごと道具”を見ると目を輝かせて喜び、その姿に農家の主人も上機嫌で三姉妹歓迎するのでした。そして、その美子の大切な思い出は、思っていた以上の食糧と交換してもらう事ができたのでした。

とと姉ちゃん_千葉74

その帰り道、それまで気丈に振る舞っていた美子が、こらえ切れずに泣き出してしまいます。「おばあちゃま、私達の為に下さったのに。全部、戦争のせいよ・・・。」皆が我慢をし、守り続けてきたものさえも手放さなければならない、そんな状況に涙する美子。

そんな妹を、常子と鞠子は、ただただ抱きしめる事しかできないのでした・・・。

帰宅した鞠子は、常子に問いかけます。「とと姉、戦争っていつ終わるのかな?」せっかく大学まで出してもらったにも関わらず、手に職もなく、軍需工場で働き僅かな収入しか得られずにいる自分に対する不甲斐無さを感じていたのでした。

そして、鞠子は、次女として家族を支えられるようになろうと、改めて決意するのでした。

一方、この頃日本の各地では、頻繁に米軍の空襲を受けるようになっていました。

甲東出版では。
夜遅くまで、常子と五反田が仕事をしています。すると、五反田が常子には伝えておいたほうがいいだろうと、深刻そうな顔で話し出します。

とと姉ちゃん_防空壕74

 

 

 

 

 

と、その時に、空襲警報がけたたましく鳴りだします。五反田は重要な話を常子に伝えきれないまま二人は近くの防空壕へと逃げ込みます。

そこでは多くの人々が肩を寄せ合うように、夜通し続く爆発音におびえながら過ごすのでした・・・

翌朝。
空襲の影響で電車が止まっていた為、常子は走って目黒の家まで帰宅しました。

家族は無事でしたが、鞠子が足にケガをしていました。自分はとと姉ちゃんの代わりにはなれなかった、そう言って鞠子は泣き出します。

その翌日、出社した常子は、仕方が無いとは言え、戦争を礼賛する内容の雑誌はもう作りたくない、そう五反田に懇願します。

すると、五反田は「じゃあ、僕がその苦しみから解放してしんぜよう。」と、いつものお道化た口調で言うのでした。そして、「もう作らなくてもいいんだ。」と、真顔になると、五反田にも、召集令状が届いたことを伝えるのでした・・・

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つづく
 

とと姉ちゃん13週74話・感想まとめ 

【思い出のおままごと道具】
小橋家が浜松から深川に移り、まだ、おばあさまと出会って間もない頃におばあさまが三人の孫娘の好きな色や好みを良く知っていたため、常子ちゃんと鞠子ちゃんがとても不思議がっていたことを今、思い出しています。

この時の常子ちゃんと鞠子ちゃんの疑問は、竹蔵が祖母・滝子のもとへ小橋家の日常を送り続けていた手紙の存在が明らかになり、後々、謎は解けました。そして、この手紙は君子かかと滝子おばあさま、母娘の確執に揺れた時期のもつれた糸を解くきっかけともなり、竹蔵ととの人柄が偲ばれる素敵なエピソードでもありましたよね。

でも、末っ子のよっちゃんにとっては、浜松での生活は短くととの記憶はとてもおぼろげで儚いもの…。そして、深川に移ると小橋家の生活は一変し、よっちゃんは深川やおばあちゃまとの関係を密にしていきました。ですから、深川に移ってからのおばあちゃまとの日々はよっちゃんにとって、とても大切な思い出のはずです。

なかでも、淡いピンクの「おままごと道具」は深川に越して直ぐに、おばあちゃまからプレゼントされたものですよね。そんな思い出深い大事な「おままごと道具」を手放すと決心したよっちゃんの健気さが切なく、哀しいですよねぇ。どんなに手放したくなかったことでしょう。

【すいとん】
飽食の時代と言われる現代では、食べ物が配給制だなんて想像もできません。けれど、戦時下の日本、戦況は日に日に悪化の一途をたどり、残された国民は食べるものにも事欠く生活を余儀なくされていた時代です。

よっちゃんのあの「おままごと道具」がネギ坊主や野菜に変わってしまったのも時代のなせる業、戦争の罪深さを思い知らされます。それに、個人的にあのピンクの「おままごと道具」に思い入れが深く大好きでしたので、よっちゃんの切ない気持ちがよくわかり胸がいっぱいです。いくら胸がいっぱいでもお腹は満たさず、生きるためには食べなくてはいけません。背に腹は代えられませんもの、ね。

でも、常子ちゃんがまだ帰っていない小橋家の食卓は「すいとん」のお椀だけが乗った寂しいものでした。「すいとん」とは「水団」「水飩」とも言い、小麦粉の生地を手で丸めるたり、さじ(スプーン)ですくって、お汁に入れ煮る料理のこと。

室町時代の書物に「水団」の字が見られるほど歴史は古く、戦時中の食糧不足の時期には主食のお米の代用食とされていたようです。でも、戦争末期には、鰹節・昆布・煮干などは入手困難なため、出汁は取れずに味噌・醤油・塩など調味料も不足していて味付けも満足にできなかったでしょうし、お汁に肉や野菜の具を入れることも無理でした。

小麦粉も不足していたため、トウモロコシ粉・高粱粉、あるいは糠などがまぜられていたと言いますから、「すいとん」と呼べる食べ物ではなかったのかもしれませんね。
食べることが大好きな食いしん坊のよっちゃんが黙って「すいとん」もどきを口に運び、畑のニンジンの成長を待ちわびる姿が不憫です…。

【空襲と出征と】
東京には空襲に備えて防空豪が至る所に作られました。第二次世界大戦時の防空壕は、一部、鉄筋コンクリート造りのものもあったようですが、物資も不足していたため多くは廃材を利用して作り、土に穴を掘ったり土を盛ったりして作っていたようです。B29から身を守るには何とも心もとなかったことでしょうねぇ。
とにかく皆さん無事で何よりでした。

でも、『いろいろなものを奪っていくような戦争を称え国民を煽るような雑誌を作りたいという気持ちにはどうしてもなれない』という常子ちゃんの言葉に『その苦しみから解放して進ぜよう』と赤紙(出征通知)が届いたことを告げる五反田さん…。
一日も早く戦争が終わることを願っています。

ではでは
感想by香風

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