茂木一貞(もぎ かずさだ)。
『なつぞら』東京編の当初から出ているキャラクターの一人ですね。
茂木は『川村屋』の近くの『角筈屋書店』の社長さん。
演じるのは、リリー・フランキーさんです。
スーツに蝶ネクタイの、なかなかおしゃれなおじさまです。
さて、彼には誰かモデルがいるのでしょうか?ヒントは新宿、そこで本屋を創業したということですが・・・
もくじ
【なつぞら】茂木一貞のモデルは誰?茂木さんの書店とは!
場所は新宿。
『川村屋』のモデルとおぼしき『中村屋』の近くにあった大きな書店。
となると、どうもあの『紀伊國屋書店』のようです。
そこで『紀伊國屋書店』を調べてみると、
- 『川村屋』のモデルの『新宿中村屋』の向かいに位置している。
- 社長は新宿の文化人や芸能人と親しい付き合いがあった。
- 社長の名前・茂一を引用している。(茂木一貞)
というわけで、共通点を持つ人物、それは、『紀伊國屋書店』創業者の「田辺茂一(たなべもいち)」さんです。(本名・しげいち)
では、この田辺茂一さんという方は、どういう方だったのでしょうか。
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【なつぞら】茂木一貞のモデルは誰?田辺茂一さんのプロフィールを紹介!
茂一さんは、炭問屋『紀伊國屋』の跡取りとして、1905年に生まれました。
炭問屋『紀伊國屋』の跡取り
1915年、7歳の時、父親に連れられて書店の『丸善』に入ったことが、人生の転機になりました。
洋書がたくさん並んでいるその店の様子に夢中になったのです。
そして、ただ本だけ売るのではなく、文化そのものを振興しよう、そういう書店を作ろうと考えたそうです。
1927年、実家の稼業である炭問屋の側で『紀伊國屋書店』を創業します。
文学系の同人誌を作ったり、店舗の二階をギャラリーにしたり、様々な文化人や芸能人と飲み歩いて交流するなど、文化交流にも努めました。
第二次世界大戦と『紀伊國屋書店』
しかし、経営は順調にはいきませんでした。
『紀伊國屋書店』は、第二次世界大戦の戦災で大きな被害を受けました。
あまりの状況に、茂一さんは廃業も考えたそうです。
しかし、『角川書店』の創業者、角川源義(かどかわげんよし)さんの励ましもあり、
1945年、事業を再開させます。
その後、1950年に雇った松原治(まつばらおさむ)さんの尽力もあり、戦前以上に大きな書店となっていきました。
もちろん、文学や演劇など、文化の振興にも努めました。
今でいうところの本屋カフェを店内にいち早く設置していたり、紀伊國屋ホールなど劇場を作り、紀伊國屋演劇賞を創設したりしています。
このホールは、日本演劇界を代表する劇団が活躍する場となりました。
文化そのものを振興しようという方針を、見事に実現させているのです。
ちなみに田辺さんご本人にも、小説やエッセイなど数々の執筆があります。
「我が町新宿」というエッセイでは『新宿中村屋』について触れています。
さらに、自ら映画やテレビドラマに出演されたこともあります。
そんな中、田辺さんは1981年、永眠されました。享年76才でした。
破天荒な経営者
田辺さんは、実に破天荒な人でした。
大番頭役の松原治さんの手腕で書店の経営が安定してからは、ほとんど経営には参加しなかったそうです。
「僕は経済も経営も分からない、分かろうとも思わない。女性を通じて社会を理解するのがライフワークだ」と豪語していたとか。
そして毎晩のように新宿や銀座でバーをはしごして飲み歩き、『夜の社長』と呼ばれていたそうです。
そうしたエピソートはいくつもあるようです。
たとえば、みなさんご存じのピーコさん。
銀座の真ん中を田辺さんの鞄を持って「タナベモイチが通ります〜」といいながら歩かされたとか。
あの名優、森繁久彌さんを『下足番』呼ばわりしたとか。
伝説はつきません。
現在まで続く『紀伊國屋書店』の発展を考えても、ただ者ではなかったことが分かります。
ただふらふら遊び歩いていただけの人ではなかったことは確かですね。
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【なつぞら】茂木一貞のモデルは誰?まとめ
以上、『紀伊國屋書店』の創業者、「もいちさん」こと田辺茂一さんについて紹介しました。
どうやら、この田辺さんが、茂木社長のモデルということになりそうですね。
さて、ドラマの中の茂木社長は、ダンディーなルックスもありますが、リリーフランキーさんのそこはかとない「色気?」も相まって見事に『夜の社長』ぶりを発揮しています。
でも、なつだけは純粋に応援してくれるんですよね。
これからも登場のたびに見せる、リリー社長の『大人の色気』ぶりに注目ですね。