朝ドラ『エール」。
主人公の古山裕一(こやまゆういち)は、数々の名曲を作った作曲家『古関裕而(こせきゆうじ)』さんがモデルとされています。
さて、裕一のモデルが古関裕而さんだとすれば、裕一の母『古山まさ』さんは、古関裕而さんの母『古関ヒサ』さんという事になります。
そのヒサさんとは、いったいどんな人だったのでしょうか。
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もくじ
【エール】のモデル母・まさ「菊池桃子」演|古関ヒサさんのプロフィール
あの著名な作曲家、古関裕而さんを産み育てた古関ヒサさん。
一体どんな女性だったのでしょうか?
富裕な家に生まれたお嬢さま
古関ヒサさん、旧姓『武藤ヒサ』さんといいます。
福島の武藤家、武藤茂平(むとうもへい)さんの三女として生まれました。
武藤家は福島の大地主、資産家として知られていました。
自宅から見える土地は、全て自分の所有地だったというくらい裕福な家系でした。
裕福な呉服問屋に嫁ぐ
ヒサさんが嫁いだ先は、福島市の屈指の老舗呉服問屋である『喜多三(きたさん)』でした。
お相手は『喜多三』の跡継ぎ、古関三郎次(こせきさぶろうじ)さん。
つまり、古関裕而さんのお父さんですね。
二人の夫婦仲は良かったのですが、長い間なかなか子どもに恵まれなかったそうです。
老舗ですから、跡継ぎは必要です。

喜多三の店頭画像
あまりに長く子どもができないので、養子をもらおうか、という話もあった程でした。
そこへ、しかも待望の男子が生まれました。
この子どもが、裕而さんでした。
1909年(明治42年)8月11日のことでした。
待望の男児
やっと授かった子ども、しかも待望の男子とあって、両親は裕而さんをとても大切に育てたようです。
裕而さんも、特に母には強い想いがあったようで、自伝の最初に母の思い出を書いています。
「すべすべした母の背が、じかに胸や腹のあたりぬくもりを伝えてくる。(中略)やがて母は背からおろして、半てんをかけてくれる・・・」
優しい母との触れ合いが、ご自身70歳になっても、ふと昨日のことのようによみがえっていたようです。
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【エール】のモデル母・まさ「菊池桃子」演|息子の才能を信じて
裕而さんは、子供のころから、父・三郎次さんが蓄音機でかける様々な音楽を熱心に聴きます。
そして、叔母・三郎治の妹『古関マス』さんのところに行っては、マスさんがつま弾く三味線に聞きいっていたそうです。
息子の音楽の才能を伸ばす
そんな、音楽に夢中な裕而さんを見て、ヒサさんはおもちゃのピアノを買ってあげたのだそうです。
おもちゃとはいえ、3オクターブもある、なかなか本格的なものだったようです。

当時のピアノ・イメージ
このピアノに、裕而さんは夢中になったと、後日ご本人が語っていています。
楽譜の読み方などは、このピアノで熱心に勉強したのだとか。
ヒサさんは、息子・裕而さんの好きなことを応援し、才能を伸ばしたのです。
裕而さんが小学校を卒業し『福島商業学校』に進学する頃、『喜多三』の縮小と倒産など、ヒサさんにとっては苦労が相次ぎました。
しかし、それでも高価な楽譜を買うなどして、音楽にはげむ息子を、黙って見守っていたようです。
息子の『親孝行』に喜ぶ
裕而さんが長年のスランプを脱し、1937年(昭和12年)に『露営の歌』をヒットさせたことは、母・ヒサさんの元にも届きました。
ヒサさんが送ってくれた手紙の内容を、息子の裕而さんが自伝に書きとめています。
「婦人会で出征兵士の見送りに行くと、お前の作った歌ばかり歌います。近所の人々も『息子さんの作った歌ですってねえ』と声をかけてくれたりして、何となく晴れがましい気持ちです」
この、言葉からもにじみ出す母の喜びに、裕而さんはやっと親孝行ができたと感じたのだそうです。
ひっそりとした晩年
このヒットからまもなくして、夫である三郎次さんが亡くなりました。
それ以後、ヒサさんは福島で女中と二人きり、ひっそりと暮らしていたそうです。
やがて、夫・三郎次さんが亡くなって6年後、1943年(昭和18年)中風で寝たきりになってしまっていました。

夫・三郎治の葬儀-前列左3人目・妻ヒサ/右・金子
そして、翌年の1944年(昭和19年)8月5日、ヒサさんは永眠します。
享年70歳のことでした。
その時、従軍慰問でベトナムのサイゴンにいた裕而さんは、どうすることもできませんでした。
ようやくヒサさんの葬儀が行われたのは、裕而さんが帰国した後のこと。
亡くなって1か月後のことでした。
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【エール】朝ドラのモデル母・まさ「菊池桃子」演|古関ヒサさんまとめ
古関裕而さんの母・古関ヒサさんの人生をたどってみました。
当時は音楽家や作曲家の地位も認知度も、まだまだ低かったようです。
そうした職業を目指すといえば、家族から猛反対を受けたり、親族から陰口をたたかれたりする時代だったようです。
そんな中、息子が音楽好きであることを知ったヒサさんは、無理に勉強をさせたり止めさせたりすることはなく、ピアノを与えるなどしてその『好き』をのばしたのです。
そんな、息子の才能を伸ばし最後まで信じていた母を、菊池桃子さんはどのように演じてくれるのでしょうか。
桃子さんファンとしても、とってもたのしみです~♬