ネタバレあらすじ感想
2020年10月12日(月)放送
エール第18週テーマ
「戦場の歌」
【エール】ネタバレ18週86話|あらすじを最終話までお届け!
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1944年(昭和19年)4月
戦地を慰問するため、日本を旅立った裕一は、ビルマ(現在のミャンマー)のラングーンに降り立ちました。
同地を占領していた日本軍は、インド北東部の要地インパールを攻略する作戦を展開していました。
しかし、作戦は予定通りに進まず、裕一に前線へ向かう命令は下りません。
裕一は、現地の子どもたちを慰問するなどして過ごすのでした。
1か月後・・・
裕一と同行していた作家・水野伸平(みずのしんぺい)、洋画家・中井潤一(なかいじゅんいち)が、前線に行くことになりました。
彼らは、戦地を自分の目で確かめたいとして志願していたのでした。
二人を見送る裕一は、水野から『ビルマ派遣軍の歌』という歌詞を託されました。
それは、戦地で戦う兵士のために書かれたものでした。
さらに1か月後・・・
なかなか戦地に行く命令が下らない裕一。
ある夜、同じ宿舎で過ごす従軍記者の大倉憲三(おおくらけんぞう)が、裕一にある人の名を告げました。
「藤堂清治さんはご存じですか?」
大倉の口から、恩師・藤堂の名前が出た事に裕一は驚きます。
大倉は、人づてに聞いた話だと前置きすると、「藤堂大尉はビルマにおられます」と言い、よく裕一の話をしていると伝えるのでした。
戦地で、しかも近くに恩師・藤堂がいることを知った裕一の心ははやります。
すると大倉は、藤堂の配属先を調べておくと裕一に言うのでした。
戦地に行くことも出来ず、ビルマに来た意味を考えていた裕一の胸に、一筋の明かりが灯るかのようでした。
豊橋・関内馬具店にて・・・
その頃、豊橋の五郎が悩んでいました。
職人頭・岩城から、仕事を任せられるようになった五郎ですが、戦争に協力する道具を作っているのではないかと自責の念に駆られていたのでした。
そんな五郎を心配する岩城は、馬具は人と馬の命を守るものだと何度も教えます。
しかし、五郎の胸中は複雑なままなのでした。
福島・古山家にて・・・
一方、福島の古山家には、裕一の妻・音と娘・華の姿がありました。
二人は、裕一の母・まさの病状が悪化したとの知らせもあり、福島に疎開したのでした。
ラングーンの宿舎にて・・・
最前線に行っていた、洋画家・中井が帰ってきました。
中井の、別人のように変わり果てたその姿に、裕一は驚きます。
すると、中井がおもむろに一冊の手帳を差し出しました。
「前線は地獄です・・・」
そこには、中井が戦地で見た惨状が、何枚もスケッチされていました。
戦場は、険しい自然と食糧不足で、戦う以前に命を保つことさえ難しいと、中井は声をふり絞ります。
さらに、武器・弾薬や食料補給も全く追いつかないのに、進撃命令を出す司令官のあり様に怒りをあらわにします。
「すべて無駄な死・・・日本は負けます。命を尊重しない戦いに未来はありません!」
鬼気迫る中井の言葉に、裕一は息を飲むのでした・・・
つづく
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【エール】ネタバレあらすじ17週86話|感想を最終話まで!
華ちゃんに癒される~♪
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第18週は、戦争真っただ中で重苦しい雰囲気が続くとされています。
そんな中で疎開した華ちゃんが、おばあちゃんに添い寝する姿に癒されました♪
かわいい孫娘によって、まささんの病状が良くなるといいですね。
ところで、戦争末期に日本国内の大都市圏では、米軍の空襲が相次ぎました。
裕一くん一家が住む東京は、1944年(昭和19年)11月24日以降、終戦までに106回も空襲があったそうです。
音ちゃんの故郷・豊橋にも空襲があったそうですから、福島に疎開することは賢明な判断ですよね。
仕事をしながらまささんを看病している浩二くんも、音ちゃんと華ちゃんの疎開は大歓迎でしょうね。
さて、そんな浩二くんの理想のタイプは、当時の大スターの原節子さんだということが判明しました!
結婚相手を紹介しようとしていた音ちゃんですが、目玉が飛び出しそうな勢いでしたね。
きっと、「超面食いなの?ねえ?ねえ?」と心の中で問い詰めていたことでしょう♫
◆音のモデル・金子さんは疎開先で生死をさまよったってホント?!▶
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【エール】ネタバレあらすじ18週86話|予告ポイント
激戦地で再会できる?
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命を懸けて戦う人たちを現地で応援するために赴いた裕一くん。
音ちゃんらを振り切ってきただけに、並々ならぬ決意が感じられます。
それにしても、まさか藤堂先生が近くにいたとは驚きです~。
さて、ビルマは、現在のミャンマーという国でインドシナ半島の西部に位置する多民族国家。
亜熱帯地域特有の暑さと多雨が待ち受けています。
一方で、山岳地帯は雪が降ることもあるなど、厳しい自然環境に囲まれています。
太平洋戦争中の1942年~1945年に日本がビルマを支配下に納めましたが、それ以前はイギリスの植民地でした。
イギリスの支配下だった当時の首都ヤンゴンは、公共サービスや社会的インフラで、ロンドンと肩を並べるほどだったそうですよ。
ところで、現地で行われているという日本軍の『インパール作戦』。
同作戦は、世界の歴史の中でも史上最悪の作戦と呼ばれ、「失敗例の典型」とされているそうです。
「精神論優先の無謀な計画」だったと、多くの資料や証言が残っています。
敵軍だけでなく厳しい自然環境や伝染病などにより、日本兵は約3万人も戦死したとか。
裕一くんと藤堂先生の無事を祈るばかりです。