【おちょやん】千之助(せんのすけ)のモデルは、曾我廼家十吾(そがのや じゅうご/とおご)さん、本名は、西海文吾(にしうみぶんご)さんです。
「アドリブ王」といわれた、関西の喜劇役者です。
読みは『じゅうご』さんでも『とうご』さんでも、ご本人いわく「どっちでもええ」そうです。
十吾さんは、持病の腎臓病を克服するため、一日三食とも『バター・卵の黄身・リンゴとパン』の食生活を、三年半つづけたそうです。
天外さん曰く、十吾さんは鋼鉄みたいな意志の持ち主で、オマケに奇人ときていると語っています。
では、そんな曾我廼家十吾さんの人生を追ってみましょう!
【おちょやん】千之助(せんのすけ)のモデル・曾我廼家十吾|新聞屋の息子が喜劇役者となる!
須賀廼家千之助(すがのやせんのすけ)のモデルで、明治生まれの喜劇役者・曾我廼家十吾のプロフィールを紹介します。
神戸の新聞屋の息子
十吾さんは1891年(明治24年)12月4日、現在の神戸市に、新聞販売店の息子として産まれました。
十吾さんは、子どものころからものまねがうまかったのだとか。
その巧妙な演技力で、わずか8才で『大門亭文蝶(だいもんていぶんちょう)』の名で舞台に上がるようになります。
劇団を転々とする
明治35年(1902年)11歳にして、『上方喜劇の開祖』と言われる曾我廼家十郎(そがのやじゅうろう)さんに弟子入りし、『曾我廼家文福(そがのやぶんぷく)』と名乗るようになりました。
しかし、所属する『曾我廼家兄弟一座』が分裂、十吾さんは劇団をあちらこちら出たり入ったりを繰り返します。
最後には、福岡県博多で『文福茶釜一座(ぶんぶくちゃがまいちざ)』を自ら立ち上げ、芸名・茂林寺文福(もりんじぶんぶく)』を名乗りました。
【おちょやん】千之助(せんのすけ)のモデル・曾我廼家十吾|劇団や友の出会いと別れ!
千之助(せんのすけ)のモデルの波乱万丈の人生はさらに続きます。
【おちょやん】千之助(せんのすけ)のモデル・曾我廼家十吾と2代目天外さんとの出会い
大正12年(1923年)、十吾さんが31歳の頃。
十吾さんのところに、当時16歳の2代目・渋谷天外(しぶやてんがい)さんがやってきました。
父を亡くし、所属していた劇団も解散となった天外さんは、途方に暮れていました。
十吾さんは天外さんの父・初代の渋谷天外さんと付き合いがありました。
するとその時、十吾さんは「脚本の勉強をしてみい」と天外さんに言います。
ろくに学校にも行かなかった天外さんは、そのアドバイスに面食らいます。
やがて5年後、昭和3年(1928年)に松竹の白井次郎氏の支援の下、この二人を中心に結成したのが、『松竹家庭劇(しょうちくかていげき)』でした。
【おちょやん】千之助(せんのすけ)のモデル・曾我廼家十吾『松竹家庭劇』の経緯
さて、ようやく立ち上げたこの『松竹家庭劇』も、ナント3年後にはあっさりと解散してしまいます。
当時世間では、十吾さんと天外さんのケンカが原因だと噂されていました。
そんな中、昭和7年(1932年)再び『松竹家庭劇』は復活します。
しかし長くは続かず、今度は天外さんが劇団を飛び出してしまうのでした。
【おちょやん】千之助(せんのすけ)のモデル・曾我廼家十吾『松竹新喜劇』立ち上げと脱退
やがて月日は経ち、昭和23年(1948年)戦後間もなくの頃。
再度、十吾さんと天外さんがコンビを組んで、今でも続く『松竹新喜劇(しょうちくしんきげき)』を立ち上げます。
*前列左2人目・二代目天外。3人目・十吾。四人目・浪花千栄子。後列左2人目・藤山寛美。
しかし8年後には、今度は十吾さんが脱退してしまったのだそうです。
天外さんは後に、「十吾さんの退座、これはつらかった・・・」と、自伝の中で振り返っています。
原因は『松竹新喜劇』が撮った映画『たぬき』が、十吾さんの思うような出来上がりでなかったからとされています。
ただ、多くの人は、今回も十吾さんと天外さんの対立が原因だとしています。
元々、昔ながらの舞台でのお笑いを大事にしていた十吾さんと、今までのお笑いから脱して、新しい喜劇を作ろうとしていた天外さん。
常に演技上の折り合いがつかず口論となっていたそうで、別れてしまったのはいたし方のない事かもしれませんね。
【おちょやん】千之助(せんのすけ)のモデル・曾我廼家十吾の和解と別れ
十吾さんと天外さんはのちに和解し、昭和45年(1970年)十吾さんは特別出演という形で、14年ぶりに『松竹新喜劇』で天外さんと共演しています。
しかし、十吾さんは既に79歳。もう、従来のように舞台に立てる状態ではなかったそうです。
その後、十吾さんは昭和49年(1974年)4月7日、急性肺炎で亡くなりました。
82歳のことでした。
【おちょやん】千之助(せんのすけ)のモデル・曾我廼家十吾とは?星田英利さんが熱演する!|まとめ
千之助(せんのすけ)のモデル・十吾さんは、おばあさん役が得意だったそうです。
ちなみに、昭和56年(1981年)に十吾さんの人生を、松竹新喜劇が、『喜劇伝説・曽我廼家十吾』というタイトルで映画化しています。
映画には、天外さんの次男、『3代目・渋谷天外』さんも出演していますよ。
気になる方はぜひチェックしてみてくださいね!