おちょやん朝ドラあらすじネタバレ
22週23週・最終回・史実ネタバレ予測
(2021年5月3日~5月14日放送分)
おちょやん公式サイト
【おちょやん】あらすじネタバレ22週23週【史実編】|浪花千栄子さんの史実からドラマを予測!
【おちょやん】のモデル・浪花千栄子さんの史実をもとに、物語の最後となる22週23週・最終回のあらすじネタバレを予測してみます。
朝ドラ第103作の【おちょやん】は、大阪のお母さん、変幻自在の怪女優などと呼ばれる女優・浪花千栄子(なにわちえこ)さんの波乱万丈な人生をヒントを描かれる物語です。
モデルの史実をもとに、【おちょやん】最終回を含む22週23週の展開を予想してみます。
ユウユです
浪花千栄子さんの史実
【おちょやん】のヒロイン千代のモデル・浪花千栄子さんの史実から抜粋します。
時代背景は1951年(昭和26年)以降で、結婚生活に破綻して失意のどん底を彷徨う浪花千栄子さんの年齢は、40代の半ばです。
【戦後】(※年齢は満年齢)
◆1951年(昭和26年)千栄子44歳
結婚生活が破綻し、女優を辞めた浪花千栄子さんは、京都四条河原の長屋のひと間を借ります。
その行方を誰にも明かさなかったため、世間からは行方不明の存在に。
そんな千栄子さんを、花菱アチャコさんが番組のパートナーとして指名します。
当時の『NHKラジオ大阪局』の番組責任者が、苦心の末千栄子さんを捜し出し表舞台に招き入れます。
◆1952年(昭和27年)千栄子45歳
4月から、ラジオドラマ『アチャコ青春手帖』(NHK)がスタート。
当代一の人気漫才師であり喜劇俳優の花菱アチャコさんと共演し、千栄子さんは全国的な人気を得ていきます。
以降、10年以上に渡り、二人のラジオドラマが作られました。
やがて千栄子さんは、『大阪のお母さん』と呼ばれるようになりました。
また、ラジオで脚光浴びた千栄子さんには映画界からもオファーが殺到し、女優に復帰。
その後も、絶え間なく映画に出演する多忙な日々が続きました。
◆1953年(昭和28年)千栄子46歳
8月、映画『祇園囃子』(溝口健二監督)で、ブルーリボン助演女優賞を受賞。
一方で、京都嵐山に自宅の建設工事が始まりました。
◆1956年(昭和31年)千栄子49歳
自宅を兼ねた料理旅館『竹生(ちくぶ)』が完成。
弟の娘・南口輝美を養女に迎え、旅館経営に乗り出しました。
◆1959年(昭和34年)千栄子52歳
大塚製薬『オロナイン軟膏』のテレビコマーシャルに出演。
浪花千栄子さんの名は、老若男女問わず全国的に浸透していきます。
※日本中の津々浦々に掲出されたホーロー看板は1963年(昭和38年)頃から
◆1965年(昭和40年)千栄子58歳
NHK大河ドラマ第3作『太閤記』で、豊臣秀吉(緒形拳)の母親役に抜擢されました。
また、自伝『水のように』を出版し、波乱万丈に満ちた人生を公にしました。
◆1973年(昭和48年)千栄子66歳
12月22日、66歳で逝去。
没後に『勲四等瑞宝章』を受章。
生涯に出演した映画やドラマは、216本に及びました。
渋谷天外と離婚後の浪花千栄子さんは、喜劇俳優の花菱アチャコさんとの『ラジオドラマ』の出演を機に輝きを取り戻します。
新番組の立ち上げにあたり、千栄子さんに白羽の矢を立てたアチャコさん、それをNHKの番組責任者・富久進治郎さんが、血眼で捜し回りようやく見つけたのだそうです。
その時、千栄子さんは大阪まで行く汽車賃も持ち合わせていないほど困窮していたのだとか。
その後、アチャコさんと千栄子さんは黄金コンビと呼ばれ、二人のラジオドラマは絶大な人気を誇るようになります。
10年以上に渡って数多くのラジオドラマが作られ、映画もシリーズ化されました。
また、ラジオ出演を機に脚光を浴びた千栄子さんには、銀幕の世界からもオファーが殺到します。
その演技力の高さ、深い洞察力によって役に入り込む姿は、溝口健二監督、木下恵介監督、黒澤明監督ら世界に誇る巨匠たちにも重用されていきます。
また、皇太子殿下のご成婚(1958年)を機に、爆発的に普及したテレビの世界にも進出。
映画同様に、創世期のテレビドラマにも数多く出演されました。
また、ほのぼのとした語り口調が特徴の「浪花千栄子でございます」で始まる、大塚製薬『オロナイン軟膏』のCMキャラクターとして、老若男女に広く浸透しました。
一方で、離婚した2代目渋谷天外さんに対抗して建設した、自宅を兼ねた料理旅館『竹生(ちくぶ)』は、千栄子さん50歳の直前に完成しました。
憧れの自宅を手に入れると、女優業の傍らで、料理旅館の経営者として腕を振るいます。
なぜ旅館なのかと思いますが、過去の苦難から女優以外の収入も考えていたそうで、女中時代の経験を活かしたとも言われています。
さらにレストランなど多角的に展開し、最盛期には80人もの従業員を雇用していたのだとか。
ところが、お別れは66歳の時に突然やってきました。
前夜に「ああ、疲れた」と言って床に入った千栄子さんは、翌日に人生の幕を下ろしました。
なお、亡くなった後も千栄子さんは女優であり続けました。
生前から千栄子さんは、養女で姪の南口輝美(なんこうてるみ)さんに、「私が死んだら、私の顔を力一杯叩きなさい!」と伝えていたそうです。
さらに、その時のために、輝美さんに自分の顔を平手打ちさせて練習していました。
その理由は、浪花千栄子のフィナーレとなる『葬儀という舞台』を、女優らしく飾るためでした。
葬儀に訪れた人々は、輝美さんの平手打ちによって血色の良くなった千栄子さんの顔を見て、口々に「生きているようだ」と驚いたそうです。
生涯に渡り216本の映画やドラマに出演した浪花千栄子さんは、今なお、『大阪のお母さん』として語り継がれています。
【おちょやん】あらすじネタバレ22週23週【史実編】の展開|史実を基に予測!
【おちょやん】22週23週は、不本意な離婚によってすべてを失った千代が立ち直る様子が描かれる事でしょう。
そして、『大阪のお母さん』と呼ばれるようになり、日本を代表する大女優に駆け上がっていく姿が描かれることが予想されます。
22週23週を予測する3つのポイント
物語の軸となるポイントを3つにまとめてみました。
◆22週23週の予測ポイント◆
『ラジオドラマで復活』
復活の舞台はラジオドラマで、役柄は12人の子どもを抱える母親。
花菱アチャコさんがモデルの花車当郎(はなぐるまあたろう)とコンビを組み、大家族の泣き笑いの物語は世間から大きな反響を呼ぶことに。
長寿番組となり、いつしか千代は『大阪のお母さん』と呼ばれるようになる。
『女優として輝く』
ラジオドラマで脚光を浴びた千代のもとに、映画界からオファーが殺到。
銀幕の世界でも活躍する。
『我が家』
千代は心のよりどころとして、自宅を建てます。
そこは、生まれ故郷を彷彿させるような、竹林に囲まれた家なのでした。
傷ついた心から、千代は見事に輝きを取り戻します。
実生活では子供を持つことが出来まなかった千代でしたが、ラジオドラマで演じた12人の子を持つ母親役が転機となります。
大家族をめぐる泣き笑いの物語は大反響を呼び、ラジオドラマは人気長寿番組へ。
いつしか人々は、千代のことを『大阪のお母さん』と呼ぶようになります。
やがて映画界からも声がかかり、名実ともに上方を代表する『お月さん』のような大女優として、光り輝いていきます。
それは喜劇女優時代の比ではなく、憧れのスター・高城百合子さんを超えるような存在となるのではないでしょうか。
なお、史実では実弟の娘さんを養女として迎えています。
ドラマでもそんな存在のキャラクターが登場するかもしれません。
残念ながら、最愛の弟・ヨシヲは戦争の影響で亡くなってしまったため、再登場の可能性は薄いと思われます。
そこで、千代ちゃんの親友でもあり、姉妹のような存在のみつえちゃんの息子・一福くんの、子どもが・・・、なんてことを期待したいです♪
【おちょやん】あらすじネタバレ22週23週【史実編】最終回|12人の母親役で『大阪のお母さん』へ!|まとめ
激動の時代に、女優の道を一途に歩んだ浪花千栄子さんの史実をもとに、【おちょやん】あらすじネタバレ22週23週【史実編】をご紹介しました。
七転び八起の壮絶な人生を送った浪花千栄子さんは、穏やかな晩年を過ごしました。
【おちょやん】の最後は、『失意のどん底』から華々しく復活した女優・千代ちゃんの、穏やかな笑顔が見られるのではないかと予想します。
なお、制作発表の段階のおいて、千代を演じる杉咲花さんは17歳から40歳代を演じると発表されています。
そのため、ラジオドラマで復活した千代ちゃんが、映画界でも輝き、自宅を建てる頃あたりまでが描かれるのかもしれません。
泣き笑いの人生の結末が、幸せな笑顔で幕が降りることを期待したいと思います。
以上、モデルの史実をもとに22週23週の最終話までを予測してみました。
【ドラマLand】では、【おちょやん】22週以降、最終回までのあらすじネタバレが分かり次第、ご紹介させていただきます。
最後までご覧いただき、どうもありがとうございました。
◆千代のモデル・浪花千栄子さんの七転び八起きの実話はコチラ▶