▮広岡浅子の子孫とは、どんな人達?
「あさが来た」のヒロイン・あさのモデルとなった広岡浅子には、子供はいるのでしょうか?調べてみると、浅子の事業をしっかりと継いでいった子孫の存在があるようです。
▮浅子の子供
広岡浅子は17歳で夫・信五郎と結婚しましたが、長年、子宝には恵まれなかったようです。
27歳の時に、やっと念願の子供が生まれました。それが、一人娘の亀子です。
*画像は亀子をモデルとした千代役の小芝風香さん(出典/Oricon styleより)
待ちわびた子供の誕生に、夫の信五郎も大喜びしたと言われています。
この時代は、男の子が家を継ぐものという考えが常識でしたから、当然、浅子も男の子を産む事を期待されていたと思われます。
しかし、浅子と信五郎の間の子供は、長女の亀子ひとりだけでした。亀子を産む時にひどく難産だった事、そして、加島屋の経営に忙しかった事などもあり、夫妻は二人目の出産を諦めたと伝えられています。
▮夫・信五郎には目掛とその子供がいた!
実は、夫の信五郎には、浅子以外の女性との間にも子供が生まれています。その女性は、小藤という女性で、なんと、浅子のお付きを務める女性でした。
小藤は、浅子が広岡家に嫁ぐ前の三井家からずっと浅子の世話をしていて、広岡家に嫁ぐ際にも一緒に来てくれた女性なのです。今回の「あさが来た」の中ではふゆ的存在となりますが、具体的なモデルにはなっていません。
では信五郎は、妻のお付きの女性に手を出したのか?と思われそうですが、実はそうではなく浅子が自ら夫の側室になって欲しいと、小藤に頼んだという話が伝わっています。
自分は炭鉱事業や経営で忙しく、家の事や夫の世話ができないから、という浅子の希望だったようです。
小藤は信五郎との間に一男三女をもうけます。この小藤が産んだ長男・広岡松三郎は、後に大同生命の4代目社長に就任します。「あさが来た」では、松三郎がモデルとなる登場人物は、現時点では未定となっています。
浅子は、自分が産んだ子供も、小藤が産んだ子供も、分け隔て無く育てました。亀子は、幼い頃は多忙な母よりも小藤になつき、浅子とは違った家庭的な女性に育ちます。
▮広岡家の子孫と後継者
亀子は一人娘だった為、京都の高等女学校を卒業後、婿養子を迎えて加島屋の事業を継いでいきます。この婿養子が、一柳恵三です。
恵三は、旧播磨小野藩主で貴族院議員だった子爵・一柳末徳の次男で、東京帝国大学(現在の東京大学)卒のエリートでした。
恵三は三井銀行勤務を経て、加島屋の経営に加わります。加島銀行頭取、大同生命2代目社長となり、浅子が手掛けた事業をしっかりと引き継ぎます。
「あさが来た」ではここまで放送するかは未定です、したがって恵三をモデルとした登場人物も、現時点では未定となっています。
恵三は大同生命の社長を33年も務め、会社を大きく発展させた立役者とされています。現在、広岡家は大同生命の経営からは離れていますが恵三の功績は大きいものでした。
亀子は、一男四女を出産し、実業家の夫を良き妻として支えていたようです。この亀子の長男・喜一は、後に大同生命の取締役に就任します。
恵三は、1952年、76歳で亡くなります。亀子は、100歳近くまで生き、長寿を全うしました。
広岡浅子の子孫は、それぞれの立場から、その事業の後継者として大きな役割を果たして行くのでした。
【追記】
21週から、一柳恵三をモデルとした「東柳 啓介」が登場し、工藤阿須加さんがキャスティングされました。
工藤さんはソフトバンクホークス・工藤監督の息子さんという事ですが、そう言えばちょっとした表情に、若かりし頃の工藤監督の面影もチラ見えしますよね。
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