「あさが来た」の山崎平十郎とは?
山崎平十郎は元大蔵省に勤める役人でしたが、民間の銀行を立ち上げるために大蔵省を退職した人物です。真面目で物静かな正確ですが、確たる信念の持ち主であり、あさと相通じる面もありました。
この頃、銀行はまだ少なく両替商が銀行の業務を担っていました。
しかし、外国と対等に貿易を行うためには、国際的に通用する銀行が必要となっていました。
山崎平十郎は、加野屋がやがて銀行を開設するという話を聞きつけ、あさや新次郎と面会することになります。(あさが来た16週から登場)
*画像出典ORICONSTYLE)http://www.oricon.co.jp/
平十郎は、面接の結果加野屋の銀行部門に入ることになり、その後、あさと民間銀行の創業に尽力することになります。
山崎平十郎のモデル、中川小十郎とは?
山崎平十郎はドラマでの架空の人物ですが、実際には中川小十郎がモデルとされています。
小十郎は13歳で上京し、一時は夏目漱石や正岡子規達と同窓生として過ごします。漱石とは仲がよく漱石の作品の中にも、小十郎の事が書かれた作品があります。
小十郎は西園寺公望文部大臣の秘書を務めた後、西園寺大臣が退職するとあっさりと自らもその職を去ります。
あさのモデル広岡浅子には、日本女子大学校の設立メンバー・成瀬仁蔵を通じ紹介されます。実史ではすでに日本女子大も創設され、加島銀行も開設されていましたが、加島銀行は業績不振に悩まされていました。
その加島屋の様々な事業改革に手腕を振るい、加島銀行の再建、大同生命の設立と、大きく浅子を、加島屋を支えることになります。
山崎平十郎を演じる辻本茂雄とは?
山崎平十郎を演じることになりました辻本茂雄は、吉本興業に所属する芸人で、現在吉本新喜劇の座長を務めています。
高校までは競輪選手を目指していましたが、交通事故で足に後遺症があったため、競輪選手を諦めることになります。
1986年、吉本総合芸能学院に進学することになりますが、このとき漫才コンビ「三角公園USA」を結成しています。
その後、コンビを解散、吉本新喜劇に入団します。
*画像出典:吉本興業プロフサイト)http://www.yoshimoto.co.jp/
入団当初はなかなか役を回してもらえませんでしたが、ある時、先輩・間寛平の代役を辻本茂雄が務め、評判になったた事が認められるきっかけとなりました。
東京にも進出しましたが、吉本社内から大阪臭が強すぎるとの声が高まり、大阪定住が決まったそうです。今回の平十郎役でも大阪臭を漂わせてくれるのでしょうか?
大阪臭・・・、ワタシは嫌いじゃないですよ~ヽ(^o^)丿