ヒロイン・小橋常子(こはし つねこ)とは
NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)「とと姉ちゃん」のヒロインで、小橋家の三姉妹の長女、それが小橋常子(役・高畑充希/たかはた みつき)です。
物語は、12歳の常子が暮らす戦前の静岡・遠州から始まります。
明るくのびのびと育った常子でしたが、父親・竹蔵を結核で亡くし、その父親の代わりとなって母・君子と妹達を守っていく、「とと姉ちゃん」なヒロインの物語です。
「とと」とは父親の事で、父親代わりのお姉ちゃんで「とと姉ちゃん」というわけです。
家計の為に働きに出る母の代わりに、家事も妹達の世話も常子がこなします。しかし、生活は苦しくなり、一家は母の実家、東京・深川に引っ越す事になります。
その後、東京の女学校を卒業した常子は、新聞社に入社、そこで編集の仕事に就きます。この頃、日本は戦争の真っ只中でした。
終戦となった1945年(昭和20年)、戦争ですっかり変わってしまった世の中を見て、常子は疑問を抱きます。「戦争で、多くの女性や子供が不幸になった。こんな事はおかしい。」と強く感じ、女性の為に役立つ情報を伝えたいと、女性向けの情報誌を作る事を決めます。
家族にも協力を求め会社を設立、しかし、雑誌の作り方の分からない彼女達だけでは、そんなに簡単に上手くいく訳もありません。そんな時、編集者・花山伊佐次と出会い、そこから、雑誌「あなたの暮し」の誕生につながっていくことになります。
常子のモデル・大橋鎮子さんとは
大橋鎮子(しずこ)さんは、編集者でありエッセイストでもある女性でした。
1920年(大正9年)3月10日、東京で日本製麻に勤める父・武雄氏と母・久子さんの長女として産声を上げました。
1歳の頃、父親の転勤で北海道に引っ越したようです。その後、父・武雄氏が肺結核を患い、療養の為に東京に戻る事になります。
伊東や鎌倉、大森など、いくつもの療養所を渡り歩き、最終的には東京の大井町に落ち着いたそうです。
1930年、鎮子さんがまだ小学校5年生の時に、療養の甲斐なく父・武雄氏は他界します。
父の「鎮子がお母さんと妹達を守っていってくれ」という遺言もあった為か、鎮子さんは父の葬儀の喪主を務めたと言われています。
一家は母と3姉妹という女性だけの家庭になり、経済的に貧しかったようですが、親戚などの助けもあり、鎮子さんは1937年に東京府立第六高等女学校(現在の東京都立三田高等学校)を卒業します。
また、女学校時代(14歳頃)には、練り歯磨きを作り起業しましたが、これは上手くいかなかったそうです。
その後、日本興業銀行(現在のみずほ銀行)に就職。銀行の調査部に配属され、そこで編集の仕事を覚えたとされています。
銀行に三年勤めた後、もっと勉強がしたいと考え、日本女子大学に入学します。しかし、鎭子さんは不幸にも父と同じ病、肺結核を患い大学を中退する事になります。父の実家がある岐阜で静養した鎭子さんは、やがて病を克服します。
その後社会復帰し、日本読書新聞に就職します。しかし、またしても鎭子さんに困難が訪れます。この頃から日本も戦争色が濃くなり、やがて第二次世界大戦へと突入します。
厳しい戦時中を過ごした後、ようやく終戦を迎えます。
この時、鎭子さんは女性の為の情報誌を世に出したいと考え、新聞社で出会った花森安治氏に相談し、出版を手伝ってもらう事になります。
鎭子さんは25歳で新聞社を辞め、新たな道を進む事になります。
1946年、鎮子さんと妹の晴子さんと芳子さん、花森安治氏、横山啓一氏がメンバーとなり、「衣装研究所(現在の暮しの手帖社)」を設立。
鎮子さんが社長となり、銀座のビルの一室からスタートさせたそうです。
(左・大橋さん/右・花森さん/ )
出典:httpbooks-hasegawa.co.jp
後に、花森氏が編集長となり、雑誌「スタイルブック」を創刊。やがて、1948年「美しい暮しの手帖」そして、1953年「暮しの手帖」と名称を変え現在も隔月発行されています。
1969年からは、同誌で鎮子さんのエッセイ「すてきなあなたに」の連載が始まります。1978年に花森氏が亡くなり、鎮子さんが編集長に就任。
1994年には、エッセイが認められ、第10回東京都文化賞を受賞します。
大橋鎮子さんは、2013年3月23日に亡くなりました。93歳で亡くなるまで結婚歴は無く、生涯独身だったそうです。
父親の遺言もあり、自分が家族を守るんだ、一家の大黒柱なんだ、という思いがずっとあったのかも知れませんね。また、なんと90歳を過ぎても会社に出社していたのだとか。
スーパーウーマンの「とと姉ちゃん」なのでした。