次女・小橋鞠子(こはしまりこ)とは
小橋家の三姉妹の次女。鞠子(相楽樹/さがら いつき)は活発な性格の姉とは違い、真面目な人柄です。勉強が得意ですが、運動は不得手。姉・常子とは歳が近く、常子にとっての良き相談相手でもあります。
女学校に通っている時に、平塚らいてう(女性解放運動家で、作家でもあった女性)を尊敬し慕い、それを機に文学の道を志します。その後、雑誌「あなたの暮し」の創刊メンバーの一人となり、姉・常子を手伝う事になります。
鞠子のモデル・大橋晴子(横山晴子)さんとは
大橋晴子(はるこ)さんは、大橋家の次女で、大橋鎮子さんの妹です。(結婚後は横山姓)
父・武雄氏の転勤先だった北海道・茅野で生まれます。その後、三女の芳子さんが生まれますが、しばらくして父の病が発覚、病気の療養の為に、一家で東京へ戻る事になります。
東京や鎌倉、大森など各地を転々とし、最終的に東京・大井町に落ち着き、そこで小学校に通います。女学校の頃の事は詳しく分かっていませんが、卒業後は、東京・丸の内の保険会社に勤めていたようです。
ちょうどその頃、姉・鎮子さんは雑誌の出版に取り掛かっていた模様。姉と共に雑誌の出版を手掛けていた編集者・花森安治氏の「会社を作るなら、銀座が良いだろう。」という言葉を受け、晴子さんが仕事の合間に、銀座で借りられそうな場所を探したそうです。
そして見つけた物件のビルは、幸運にも近所に住む代議士の方が持ち主だった為、ビルの一室を貸してもらえる事になったのだそうです。
また、起業する為の資金においても晴子の存在は大きく、晴子さんが保険会社で担当していたお客様から借りる事ができ、それを事業資金に充てたそうです。その額は、今のお金に換算すると400~500万円程と言われています。
そして、1946年(昭和21年)、姉・鎮子さんが社長となり、晴子さん、妹・芳子さん、花森安治氏、横山啓一氏がメンバーとなり、出版社「衣装研究所」を立ち上げました。
横山啓一氏は、姉と花森安治氏の共通の知人だったそうで、後に、晴子さんの夫となる人物です。
横山氏と結婚した晴子さんは、その後、男の子を出産。その息子がやがて結婚しますが、その妻・横山泰子さんが、姉・鎭子さんの社長退任後、二代目社長に就任したのだそうです。