父・小橋竹蔵(こはし たけぞう)とは
小橋家の大黒柱であり、常子、鞠子、美子三姉妹の父親です。家族からは「とと(父親の意味)」と呼ばれています。
繊維の町でもある静岡・遠州の工場で営業部長として勤務する、家族を愛する優しい父親です。穏やかで平和主義な性格の為、営業先の人達との関係も良好な様子でした。
しかし、常子が12歳の時に肺結核で他界してしまうのです。
息を引き取る前に常子を呼び、「常子がととの代わりになって、家族を守っていってくれ。」との遺言を残します。また、「当たり前の暮らしの大切さ」についても言い残し、これらの遺言は常子の心に深く刻まれます。
父・竹蔵のモデル大橋武雄さんとは
大橋鎮子さんの父・大橋武雄(たけお)さんは、岐阜県の裕福な家に生まれたとされています。
苗字帯刀(江戸時代の身分証明のようなもので、武士に許された特権の一つだった。)が許された、いわゆる名家だったそうです。
武雄さんは三人兄弟の次男として生まれましたが、10歳くらいの頃に東京・深川で材木商を営んでいた親戚の養子となり、その家で一人息子として育ったそうです。
ドラマでは、ヒロイン・常子の母の実家が深川の材木商という設定ですが、モデルとなった大橋鎮子さんの場合は、父が養子となった家が深川の材木商だったのですね。
その後、一年先輩だった栃内吉彦氏の誘いを受け、北海道帝国大学の予科に進学。その北海道で、後に妻となる宮原久子さんと出会います。
大学卒業後は東京・深川に戻り、1919年(大正8年)4月に、北海道と繋がりがあった日本製麻に就職。
その翌月の5月に久子さんと結婚したようです。そして翌年、長女・鎮子が誕生。
さらに翌年の1921年には北海道・小沢の工場長として栄転します。
その後、今度は茅野の工場長となり、その地で次女・晴子が生まれます。そして、今度は虻田の工場長となり、その頃には三女・芳子が生まれます。
妻と三人の娘達と共に幸せに暮らしていた武雄さんでしたが、風邪をこじらせたようで、肺結核を患ってしまいます。
その療養の為に鎌倉の病院に入院する事になり、1926年4月には会社を退職。その後、東京に戻りますが、東京や鎌倉、大森など、各地の療養所を転々としたようです。
しかし、残念ながら1930年10月1日、東京・大井町で息を引き取ります。
その直前には、鎮子さんに向けて「お母さんを助けて、妹達の面倒も見るように」との遺言を残したとされています。
若くして、妻とまだ幼い娘達を残して逝くのは、本当につらかった事と思います。ましてやこの時代ですから、女性だけの家族が生きていく事に対して、とても心配だったのではないでしょうか。