ちむどんどん・ネタバレあらすじ予告 ・最終回25週「やんばる!ちむどんどん!」
ちむどんどん最終回25週あらすじと感想|9月26日~9月30日
ちむどんどんの週間ネタバレ予告あらすじ情報をお届けしています。
ネタバレ予告【最終回】第25週は?
暢子は夫・和彦と息子・健彦とともに、豊かな自然に囲まれたやんばる暮らしを始める。
やがて暢子は、故郷で自分の店を持つ夢を描き始めるが・・・
◆沖縄・やんばるにて・・・
暢子たち一家が、やんばるの比嘉家で暮らし始めて一年。
東京時代では考えられなかったような時間が流れ始めます。
暢子は母・優子のように、畑に行って島野菜を育てることを楽しむ日々です。
和彦と健彦も、豊かな大自然に囲まれたやんばる生活にすんなりと溶け込んでいったのでした。
一方、もどかしい関係を続けていた幼なじみ・智と、ついに夫婦になっていたのでした。
◆そんな中・・・
村のおばぁたちと一緒に地元野菜と郷土料理の勉強会を始めた暢子。
次第に暢『料理人』としての思いが芽生え始めていました。
「やんばるで自分の店を持ちたい・・・」
暢子は新鮮な島野菜の美味しさを、さらに引き出す料理を提供する食堂を開く夢を描き始めるのでした。
◆やがて・・・
「ここで食堂を開きたい!」
暢子は生まれ育った実家で食堂を開くことを思いつきます。
母・優子をはじめ、やんばるの人たちも協力し、比嘉家の敷地に食堂が建つことになったのでした。
◆ある日・・・
暢子のもとに、東京から客がたずねてきました。
なんと、フォンターナのオーナー・房子です。
暢子は房子との再会を心の底から喜びます。
一方、生まれて初めて沖縄の地に足を踏み入れた沖縄二世の房子は、優子にとある人を引き合わせる目的でやって来ていました。
そんな房子が来たことによって、比嘉家にとんでもない災いが起きることに・・・
ちむどんどん25週各話詳細ネタバレ
◆121話・9月26日(月)
夢を描く暢子に災いが!
◆122話・9月27日(火)
房子が優子に人を紹介!
◆123話・9月28日(水)
開店前日に事件が発生!
◆124話・9月29日(木)
3姉妹が力を合わせる!
◆125話・9月30日(金)最終回
生死の境をさまよう歌子
ちむどんどん最終回25週|上京してからの暢子の歩み
いよいよ【ちむどんどん】の最終回を迎えます。
物語のおさらいをするために、ヒロイン・暢子の上京後の歩みを振り返ります。
上京してから移住を決意するまでの変遷です。
◆上京1年目・1972年(昭和47年)
一流の料理人を目指す暢子は、沖縄が本土に復帰した1972年5月に上京しました。
宿無し、職無しのピンチでしたが、鶴見沖縄県人会の会長・平良三郎に出会ったことで解決。
リトルオキナワと呼ばれる横浜市鶴見の沖縄居酒屋『あまゆ』で下宿することに。
そして銀座の一流イタリア料理店『アッラ・フォンターナ』に採用されました。(第6週)
フォンターナで働き始めた暢子は、絶対的な存在のオーナー・大城房子に『ペペロンチーノ対決』に挑み惨敗。
自分の実力を知らされた暢子は、房子のもとで真摯に学ぶことを誓います。(第7週)
◆上京2年目・1973年(昭和48年)
房子の命令で暢子は『東洋新聞学芸部』でアルバイトを始め、すべてのことが自分と繋がっていることを学びます。
また、幼い時にやんばるで3カ月間一緒に過ごした青柳和彦と再会を果たしました。(第8週)
◆上京3年目・1974年(昭和49年)
フォンターナのオーナー房子に『おでん屋台』の立て直しを命じられた暢子は、苦しんだ末に店の立て直しに成功しました。
なお、暢子は房子が大叔母ということを知りました(第9週)
◆上京5年目・1976年(昭和51年)
暢子は、尊敬する二ツ橋料理長の退職騒ぎの最中に、戦前にフォンターナの房子と鶴見沖縄県人会の会長・三郎が結婚を誓い合った関係だったと知りました。
また、新メニューを考案したことで厨房の花形ポジション『ストーブ前』を担うことに。(第10週)
◆上京6年目・1977年(昭和51年)
二ツ橋料理長の入院によって『シェフ代行』を務めた暢子。
矢作をはじめ先輩料理人たちとの対立を経て一回り成長しました(第11週)
◆上京7年目・1978年(昭和53年)
暢子は幼なじみの和彦が、恋人・愛と結婚すると聞いて激しく動揺。
やがて暢子は和彦のことが好きだと自覚し、和彦も暢子を意識するようになります(第12週)
寝ても覚めても和彦のことでいっぱいの暢子は仕事が手につかず、さらに和彦とはギクシャクします。
暢子は和彦のことをキッパリ諦めると愛に宣言したものの、モヤモヤが止まりません。(第13週)
そんな中、鶴見沖縄県人会の『沖縄角力大会』で優勝した智が暢子にプロポーズ。
しかし暢子は拒否。
一方、愛は和彦の暢子への思い知り、和彦に別れを告げてパリに旅立ちました。(第14週)
母・優子の再婚騒動が持ち上がり、『お盆』の比嘉家に家族が集結。
暢子たち兄妹は、戦争に翻弄された両親の家族愛を知り、幸せになることを誓います。
取材で沖縄に来た和彦に会った暢子は、和彦に逆プロポーズしたのでした。(第15週)
一緒に生きていくことを決めた暢子と和彦。
そんな2人の前に、なんと和彦の母・重子が立ちはだかります。(第16週)
暢子は料理を通して重子に認めてもらおうと奮闘。
一方フォンターナでは元料理人・矢作によって危機を迎えましたが、三郎によって問題は解決しました。(第17週)
やがて暢子は、フォンターナの房子の提案で「懐かしくておいしくない料理」によって和彦の母・重子に結婚を認めてもらいました。
結婚披露宴の場で暢子は独立を宣言し、東京で沖縄料理の店を出すことに。(第18週)
◆上京8年目・1979年(昭和54年)
鶴見の『あまゆ』で新婚生活をスタートした暢子は、独立に向けて動き始めフォンターナを退職。
ところが、兄・賢秀を救うために開店資金200万円を失ってしまいます。
しかし、そんな場面を姉・良子夫妻に救われます。
でも、賢秀の影響で、和彦が東洋新聞社を辞めることになりました。(第19週)
和彦が不安定なフリーランスになったタイミングで、暢子の妊娠が判明!
店の味を任せられる信頼する料理人を探していた暢子は、矢作をスカウトしました。(第20週)
その後、暢子は困難を乗り越え、1979年9月に『沖縄の味・ちむどんどん』をオープン。
オープン直後は大盛況だったものの、2カ月後には閑古鳥が鳴いていました。(第21週)
客足が戻らない中、暢子は一時休業を決めました。
資金繰りが悪化し給料も払えないため、矢作が辞めることを覚悟します。
しかし、暢子に恩義を感じる矢作は辞めないと宣言し、店の再開に向けて料理を見直しはじめます。(第22週)
試作を重ねる暢子と矢作は、看板メニュー『沖縄そば』に合う豚肉を探し求めます。
やがて、兄・賢秀と清恵のおかげで豚肉問題を解決した暢子は、1979年12月に店を再開。
そんな店が賑わう中、暢子は陣痛を迎えました(第23週)
◆上京13年目・1984年(昭和59年)
息子・健彦(たけひこ)を出産してから4年が経ち、暢子は育児をしながら繁盛店を切り盛りしています。
そんな中、家族で沖縄に里帰りした暢子は、和彦の沖縄移住を決意しました(第24週)
なお、沖縄移住を決めた1984年は、暢子が沖縄を出て12年。31歳になる年です(賢秀は35歳、良子は34歳、歌子は29歳になる年)
◆暢子たちの軌跡をたどる【ちむどんどん各週のネタバレ】はコチラ▶
ちむどんどん最終回25週あらすじと感想|まとめ
最後はやっぱり沖縄が舞台!
2022年4月に始まった【ちむどんどん】が9月30日(金)に最終回を迎えます。
沖縄の豊かな大自然の中でのびのびと育った暢子ちゃん。
天真爛漫なその性格は、出会う人たちをちむどんどんさせ、愛されてきました。
挫折を繰り返しながら努力を重ね、時には幸運にも恵まれてきています。
幼なじみ・和彦と結婚し、自らの店『沖縄の味・ちむどんどん』を開き、息子・健彦くんに恵まれた暢子ちゃん。
東京で育児と両立しながら経営者の道を歩んでいたものの、予想通り、沖縄に移住しました。
生まれ育った故郷で新たな夢にチャレンジする暢子ちゃんに、ちむどんどんしそうです~!
ところで、沖縄2世でありながら一度も沖縄に行ったことがないフォンターナ・オーナーの房子さんがついに沖縄へ。
事前情報によれば、房子さんが優子お母ちゃんとやんばるの砂浜で語り合うシーンがあるとのことです。
自分自身のルーツに触れた房子さんが、優子さんと平和への祈りを語り合うのかもしれませんね♪
【ちむどんどん】は、沖縄が本土に復帰50年の2022年まで描かれるとNHKから発表されています。
しかし第24週の時点で物語は1980年代ですから、約40年もの時間が残っていますよね。
なお、前作【カムカムエヴリバディ】では、最終回の中で一気に20年も時間がスキップしています。
【ちむどんどん】も同じようなことが起きるかもしれませんね。
ちなみに最終回が2022年だとすると暢子は68歳、賢秀は71歳、良子は70歳、歌子64歳になります。
暢子役の黒島結菜さん、賢秀役の竜星涼さん、良子役の川口春奈さん、歌子役の上白石萌歌さんが演じる歳を重ねた姿は話題となりそうですね。
沖縄の豊かな自然の中で迎える、感動的なエンディングに期待が膨らみます~♪
以上、ちむどんどん最終回25週の週間あらすじ予告情報でした!