NHK朝ドラ 「あさが来た」
ネタバレあらすじ感想19週114話
2016年2月13日(土)放送
あさが来た19週テーマ「みかんの季節」
あさが来た ネタバレあらすじ感想・最終回まで19週114話【2月13日(土)】
あさは、成澤泉(なるさわ いずみ)のあまりの勢いにのまれて、つい応接室に通してしまいました。
成澤はあさの目を正面から見据え、「まずは、あなたに尊敬の念を述べさせてください」と言い、そのいきさつを語りだします。
成澤は、アメリカ留学中に、銀行への女子行員採用のニュースを聞いたと言います。
どうせ、客寄せにでも使っているのだろうと、帰国後そのありようを見に来たが、女性行員が一人ひとり人格を持ち、そのすばらしい働きぶりに感動したと、熱く語りだします。
そして、「私は、女子が知性を持って社会の一員たろうとする姿を見るのが好きなのです」
女性は男性と同格、分野によってはそれ以上の能力を持っていると語ります。
成澤が何をしに来たのかわからず、あさが困惑していると、成澤は突然「うう……」とうめきながら、あさに倒れかかってきました。栄養失調だったのでした。
やがて、あちこちから成澤の情報が入って来ます。
元・女学校の先生だった、夢のためにお金使い果たしアメリカ留学を、奥さんに逃げられ今は貧乏な無職・・・等々、やはり「奇人」らしいしいという事になっていました。
数日後、成澤は再び銀行にやって来て、出かけようとするあさに声をかけます。
「私は長年、女学校で教鞭を執り、またアメリカでも女子の教育について学んでまいりました。私は日本で初の、女子の大学校を作ろうと思っとります。ぜひともあなたに、その設立にご賛同いただきたい」 と、熱弁を振るいます。
「理想はすばらしい、そやけど、あなたにできることとは思われしまへん」そう言って立ち去ろうとするあさに、成澤は一冊の本の草稿を「私の書いた教育論です」と言って手渡し帰って行くのでした。
後日、それを読んだあさは、感動で涙が止まらなくなるのでした・・・
つづく
■瀬戸康史さん成澤泉役とモデル成瀬仁蔵とは?
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■「あさが来た」キャスト忠嗣役の興津正太郎のロン毛が~?!
あさが来た19週114話・感想まとめ
父親の新次郎さん
なかなか分かり合えない母と娘の間にたち、『あんたのお母ちゃんを尊敬している、愛している』と言える新次郎さん、旦那様の鏡です。
本当に、新次郎さんは奥様、あさちゃんのことを愛しているのですねぇ。羨ましいことです。誰しも、新次郎さんのような旦那様を欲しますよねぇ。
かなわぬ夢と知りながら、ですけれど。
現実とのギャップに落胆しながら大いに楽しめる、というパラドックス…。マゾ的快感でしょうかしら。
閑話休題。父親の新次郎さんから、『あんたのお母ちゃんは前向いて歩きながらも、娘のこととなれば悩みもするし迷いもする』と諭された千代ちゃん。同室にはあさちゃんに心酔する田村宜さんもいることですし、母娘の確執の雪解けも近い近いかもしれませんね。
清 貧
今日も、ふやけたワカメ成澤泉氏が熱く大活躍です。お腹がすき過ぎて倒れてしまうなんて、イヤハヤびっくりぽん、ですけれど、よのさんたちが『今はやりの清貧~』と言っていますよね。
清貧という言葉がそれまで無く、明治時代に生まれたのだと知りました。
これは、貝原益軒(かいばら えきけん)によって著された「養生訓」の影響から生まれた言葉かもしれませんね。
『養生訓』は健康について書かれた身近な教養書として江戸後期には庶民の間で広く読まれていましたからね。明治時代に入るとその教え『欲を抑えることが、楽しみを失わないことにつながる』(巻頭二-三八)などが清貧の思想につながり、道徳教育にもその影響が及んだのではないでしょうかねぇ。
でも、どこかで聞いたセリフですよね。『貧しくても清く美しく…』
あっ!宝塚歌劇団のスローガン(清く・正しく・美しく)にそっくりです。
成澤泉のモデル成瀬仁蔵氏の事
あさちゃんに日本初の女子大学校設立の協力を求めたふやけたワカメさんのモデル成瀬仁蔵氏は山口県の出身で、もともと、教育一家の家系に生まれていますので、幼少期は男尊女卑の思想が強い儒教の影響を強く受けていたと思われます。
ですが、早くに母親と死別し15~6歳の時に弟や父親の死にも向き合うこととなります。
そのことが成瀬仁蔵氏を宗教の道へといざなったのかもしれませんね。
大きな転機となったのは、塾を運営していた父親の元塾生で沢山 保羅(さわやま ぽうろ)氏との再会と言われています。
長い米国の生活から帰国した幼馴染でもあり先輩でもある澤山氏はキリスト教の著名な宣教師になっていました。
そして、澤山氏が説く「人は平等である」というキリスト教の教えに成瀬仁蔵氏は深く感銘を受けキリスト教に徐々に傾倒していきます。やがて、澤山氏に導かれるように教会で洗礼を受け牧師となりこの、神の前での人間の平等と言うキリストの教えが女性蔑視を変え、女子教育の道へ進むきっかけとなったのだと思われます。
「聖書を持つ青年」と表された成瀬氏は、梅花女学校(現梅花女子大学)で教鞭を執り、32歳で渡米しさらに、日本の女子教育の必要性を強く感じたのでしょう。
その思いを「女子教育」として著しました。
今日、成澤泉氏があさちゃんに手渡したのがその原稿でしょうね。そして、その著作を読んだ広岡浅子さんが、今日のあさちゃんのように深く心を動かされて、きっと、資金面だけではなくあらゆる面で成瀬氏を援助したのだと思います。
ではでは
感想by香風