NHK朝ドラ 「あさが来た」
ネタバレあらすじ感想20週117話
2016年2月17日(水)】放送
あさが来た20週テーマ「今、話したい事」
あさが来た ネタバレあらすじ感想・最終回まで 20週117話【2月17日(水)】
和歌山・有田の眉山家・・・
加野屋に見習いに出ていた長男・藍之助から手紙が届きました。
囲炉裏端で、はつが読み、夫・惣兵衛、次男・養之助、そして、世話役の倉掛がその様子を聞いています。
藍之助は、改めて正社員に採用されたと知らせ、初任給で買い求めたと、母・はつへの手荒れの軟膏が添えられていたのでした。
その頃、加野屋では・・・
成澤は、見違えるような洋装姿で銀行にやって来ます。りっぱな学者先生としての威厳さえ漂わせるかのような成澤に、あさは改めて、女子大学校設立の計画を語るのでした。
この事業を進めるためには「女子教育の理解を得る事」そして「学校新設の資金を集める事」このふたつの事が必須だと説きます。
「うちは商人。これから先、お金の面倒はうちが一切引き受けます。先生はまずこの原稿を本にして、女子大学校設立のための趣意書を作ってください」と、あさが手際よく段取ります。
その趣意書を持って、資産家や著名人を回り、あさは自ら寄付金を募るつもりでいたのでした。あさの話を聞いた成澤も、そのあまりもの行動力に感動する有様です。
やがて、成澤のかねての支援者たちと共に、大阪・中之島に「女子大学校創立事務所」を開設します。
その後のあさは、次々にとめぼしい人に会い女子大学校の話をします。
しかし、なかなか理解は得られず、それどころか、一笑にふされてしまう始末でした。
さらに、すでに新次郎が案じていたとおり、加野銀行の得意先の中にはそれを良しとしない人たちもいたのでした。
ある日、あさは加野銀行の上顧客・工藤徳右衛門に、女子大学校の話をします。
ところが、娘・サカエの現状を思うと、女子の高等教育は決して良いものではないと言い、この話は聞かなかったことにすると徳右衛門は腹立たしそうに帰って行くのでした。
ちょうどそのやり取りの最中に帰ってきた頭取・榮三郎は、「ゆっくり話聞かせてもらいまひょか!」と、珍しくあさを責めるのでした。
さすがのあさも、今回ばかりは失敗だったと、落ち込みます。
美和の店・晴花亭にて・・・
あさ、新次郎、成澤が3人で食事をしています。話は、資金集めの話題になりました。
成澤は、私学の「東京専門学校(早稲田大学の前身)」に資金集め方を聞きに行ったと言います。しかし、追い返されてしまったと話します。するとあさは、一瞬で喜色満面の表情になります。こんな時は、あさに閃きが舞い降りた時です。
「肝心要を押えれば、物事は後が楽だす」と、あさは、東京専門学校の創設者・大隈重信氏に直接聞こうと言い出し、早速手紙を書くと言うとさっさと店を出て行くのでした。
あとに、新次郎の心配そうな顔が残ります・・・、 つづく。
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あさが来た20週117話・感想まとめ
新設資金
今日も精力的に働き、女性の大学設立に奔走するあさちゃんでしたが、ふやけたワカメ成澤泉氏を叱咤激励するあさちゃんは、もうあさちゃんではなく「白岡女史」と呼ばなければいけないほどの貫禄ですよねぇ。ですから、これからは『ちゃん』はやめてあささんとお呼びすることにいたします。
新次郎さんからのプレゼント赤い『ぱちぱちさん』も一緒に頑張っていますね。
ところで、「まずは30万の寄付を目標に10万が集まった段階で着手…」と、あささんが言っていましたが、この時代のお金の価値がいまいちピンと来なかたのですが、ナレーションの杉浦佳子さんが30万円は現在の15億円と言っていましたから、10万は約5億円という事になりますね。大金ですが、大丈夫なのでしょうか?
東京専門学校
ところで、大隈重信様に寄付の集め方を聴くと、さっそく行動を開始したあささんですが、大隈重信氏と言えば、言わずと知れた早稲田大学の創立者ですよね。
でも、ドラマの中では『東京専門学校』を設立と言っています。新次郎さんも「早稲田村というところにできた大きな学校」といっていますものね。気になります。調べてみますね。
やはり、東京専門学校は現在の早稲田大学の前身だそうです。その前が北門義塾と呼ばれていて、ドイツ流の法学を中心とした東京大学とは違いイギリス流の政治学の教育に重点を置いていたようです。
創立者の大隈重信氏が、もともと政治家ですから政治学と経済学との集結、政治経済学を目標にしたと思われます。
ですから、他の大学は文系学部の中心学部が法学部ということが多いのですが、今でも早稲田大学の看板学部は政治経済学部ですものね。
その当時、「五大法律学校」、現専修大学・現明治大学・現法政大学・現中央大学そして、この東京専門学校、現早稲田大学も五校のうちの一校だったのですが、他の私立法律学校と違って理学科・文学科を設置するなど、総合教育への志向が強かったようです。
学校設立当初は、政治経済学・法律学・理学の3学科のみ設置されていましたが、のちに坪内逍遥氏を中心に文学科も設置されています。
ところが、東京専門学校は、政界から下野した大熊重信氏が大学設立に関与していたとして、政治的改進党系の学校とみなされていました。
ですから、その当時官学中心主義をとっていた政府は、判事や検事、そして、大学教授すなわち、東大教授の出講を差し止めるなど、東京専門学校へさまざまな妨害や圧迫を加えたらしいです。
そのため、一時期、同じくイギリスの法系であり、新設の英吉利法律学校(現中央大学)との合併話が持ち上がるほど、東京専門学校は講師の確保にも困る状態が続いたとのことです。
政府に、にらまれながら良く踏ん張れましたよね。大隈重信氏の登場が待ちどうしいことです。
ではでは
感想 by香風