あさが来た ネタバレあらすじ感想21週125話【2月26日(金)】|NHK朝ドラfan

NHK朝ドラ 「あさが来た」
ネタバレあらすじ感想21週125話
2016年2月26日(金)】放送
あさが来た21週テーマ「夢見る人」

あさが来た ネタバレあらすじ感想・最終回まで21週125話【2月26日(金)】

惣兵衛とはつが和歌山に帰る当日・・・

頑張るのはいいが、家族や心配する人の為にも無茶しないようにと、はつは姉の目であさを見つめるのでした。
あさも、素直に「はい、わかりました」と、しみじみとはつの言葉を心に刻みます。

千代もその日、学校に戻る事にしました。

あさが来た_千代125そして、啓介の事が気にかかり給湯所まで来てみましたが、誰もいませんでした。

と、その時「やあ、りんごちゃん」と声が、振り向くと啓介がにっこり笑っていました。

啓介は週末には東京に帰ると言います。

千代が残念そうな顔をすると「運がよければ、もう一度会えるかもしれないね」と言い、千代はつい嬉しくなるのでした。
 
 
その頃、加野銀行では・・・
亀助が頭取・榮三郎に呼ばれると「大阪に戻ってきてくれへんか」と、いきなり切りだされます。そして、亀助には、「加野銀行役員秘書」として、腕を振るってほしいと言うのでした。
これは、亀助の忠義心と、人柄を100%信頼する新次郎のたっての願いだったのでした。
 
 
翌日から、たくさんの見舞い客が病院に詰めかけました。
そして、何組目かに病室に入ってきたのは、なんと大隈の妻の綾子でした。

あさが来た_綾子125綾子は、志さえ変わらなければ、慌てることは無いといい「署名書」の綴りをあさに手渡します。

東京で綾子が著名人の賛同者を集めていたのでした。さらに、著名人に沿えて、その奥様の名が記載されていました。

男たちはいくら権力を持っていても、立場が変われば態度を変えることもある「私たちは違います。最後まであなたを支えます」と、綾子はあさを心から応援するのでした。

和歌山では・・・
はつは養之助を連れて、東京に住む父の忠興に会いに行く支度を始めます。あさの見舞いに訪れた今井の弟・忠嗣と会ったときに、父・忠興の体調がよくないと聞いていたのでした・・・

そんな話の中、惣兵衛が母・菊に、改まって話をします。それは、山王寺屋を再興するのは諦めてほしいということでした。

惣兵衛は経済が以前とは変わってしまったこと、銀行と両替屋では何もかもが違うことなどを説明します。

あさが来た_眉山125

しかし、再び山王寺屋の看板を上げる夢を藍之助に託し、いつか大阪に戻れる日を夢見ていた菊は、怒りと口惜しさのあまり、やるせない気持ちを抱えたまま席を立つのでした・・・
つづく
 
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 あさが来た21週125話・感想まとめ

かわいいお嫁さん

まだ、あどけさを残している養之助君はもう幼馴染みをお嫁さんにもらうるほどの急展開です。ところで今、養之助君は何歳…?千代ちゃんは17歳だったでしょうかしら?

病床のあささんをしり目に、よのさんとの会話の中で、『女学校を出たらいよいよ、お嫁さん』と言った時の、千代ちゃんの嬉しそうな『うちがお嫁さんかぁ』なる反応を見ると、昔々の女の子の『わたし、可愛いお嫁さんになる~♡』というのはまんざら嘘、というかドラマの中の話だけでもなさそうです。

女の子は、本気でかわいいお嫁さんになるのを夢見ていた時代が、あったのかもしれませんねぇ。今、そんなことをJKさんたちに言ったら笑い飛ばされてしまいますよね。

やはり、あの時代、あささんのような女性は稀有な存在だったにちがいありませんし、そのあささんを支えた新次郎さんもやはり、男性としたら稀な存在だったことは間違いがありませんですからね・・・
 

千代ちゃんの恋心

病院、入院棟の給湯所で出会った帝国大学、現東京大学の大学生の東柳さんは後の白岡家のお婿さん、すなわち千代ちゃんの旦那様とのこと。

前もって分かってしまうと少し味気ないものですけれど、間違いなく、千代ちゃんに恋の予感を漂わせています。

来週末も会いたそうな千代ちゃんでしたが、東柳さんは東京に戻ってしまうとのこと。
東京から大阪、大阪から京都、和歌山から大阪へとドラマの中では汽車が大活躍していそうですが、明治時代の運賃はいかほどでしたのでしょうかね?

和歌山からなら船旅でしょうか、九州へは汽車と船でしょうか?
ちょっと調べてみますかね・・・
 

明治時代の交通事情

紀伊半島の交通は、明治時代になっても陸上交通は大変不便だったそうです。大阪と和歌山を結んでいる紀州航路は、1869年(明治2年)年に開かれ、盛んになるのは明治の中ごろになるそうですから、藍之助君やはつさんと惣兵衛さん夫婦も、もちろん紀州航路で大阪に向かったのでしょうね。

また、千代ちゃんの女学校がある京都と大阪を結んでいたのも淀川の舟運だったようですよ。江戸時代から明治時代には、淀川での舟運による輸送が活気良く行われていたようです。

浮世絵師・安藤広重の絵にも描がかれている三十石船は、外輪駆動によって運航する蒸気船に押されて姿を消していきましたが、大阪天満の八軒家浜から京都の伏見港までの間を往来していた船は、多い時には約1400艘も運航していたといいます。

やはり、この時代、まだまだ一般的には舟の時代だったのでしょうか。でも、千代ちゃんクラスになると、やはり汽車の旅でしょうかしらね。
もっとも、石炭屋の娘でもあるわけですからね・・・

ではでは
感想byしゃらん

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