NHK朝ドラ 「あさが来た」
ネタバレあらすじ感想23週134話
2016年3月8日(火)放送
あさが来た23週テーマ「大番頭のてのひら」
あさが来た ネタバレあらすじ感想・最終回まで23週134話【3月8日(火)】
榮三郎一行は、病室に居ました。
榮三郎にとって雁助は、加野屋8代目襲名当時の一番の理解者で、いわば、商いの育ての親と言ってのいいほどの存在です。そして、亀助にとってはまさに兄貴分の存在。
二人は、昏睡状態の雁助を見るなり、今生の別れのように泣き出してしまう始末です。
見かねた新次郎が、二人を病室の外に連れ出します。
やがて、榮三郎は、雁助の娘・ツゲとその夫・竹男と工場の資金繰りの話をします。
竹男は借金が2千円(現在価値800万円)あるといい、工場がストップした今、資金もまわらなくなり、さらに4~5千円と増えていくだろうと、絶望の表情で話します。
二人は母・ツネを病室に残し、工場へと向かうのでした。
やがて、うめが所在無さそうに病室から出てくると、新次郎からうめはここに残って雁助の状況を見ていて欲しいと言われます。
一行は早急に帰って、雁助の工場の再建策を考えると言い、大阪に帰って行きました。
その夜、病院では・・・
面会時間も終わるころ、うめは宿に帰るとツネに挨拶をして、病室を出ようとします。すると、ツネが語りかけます。
昔の奉公先に借金のお願いをするなんて、皆さん呆れているでしょうね・・・本人も聞こえていたら、怒ると思うと言いながら、嫌なものを見るようにツネは雁助の顔を覗き込みます。
さらに、ツネの胸に溜まっていた何かが、雁助への愚痴となって、堰を切ったように語られます。うめはただ相づちを打つしかありませんでした・・・
翌日も、うめは病院に詰めています。
娘・ツゲ夫婦がいましたが、やがて、うめを残し工場へと向かいます。
昏睡状態の雁助とうめ・・・、二人だけの病室でうめは雁助に語りかけます。
そして、忘れていたはずなのに、顔を見たら、また声が聞きたくなった・・・、目を覚ましてほしいと言い雁助の手を握ろうとすると、あさが病室に飛び込んできました。
あさは、躊躇するうめをよそに、雁助の手を揉みはじめます。
自分が生死の淵から蘇ったのも、新次郎や千代が枕元で語りながら手足をさすってくれたおかげだと言い、うめにも手を揉むように言うのでした。
そして、雁助の手を揉みながらうめがつぶやきます。
さて、うめの思いは・・・
つづく
■「あさが来た」今井屋のモデル三井家と浅子の関係
□新次郎があさを選んだ理由とは?(59話)
あさが来た23週134話・感想まとめ
男泣きにもらい泣き
朝から榮三郎さんと亀助の男泣きに、もらい泣きです。
二人とも雁助さんへの恩義や、加野屋を離れる際に挨拶も出来なかった後悔の念など、色々な思いが馳せていましたよね。
本当に仕事熱心の雁助さんでしたからね。二人にとっては学ぶことも多く師匠みたいな存在だったはずですから。
本当に奉公人3人組(雁助・亀助・うめ)はいい味だしていますよね。早くその中に雁助さんも戻って、あの饒舌な絡みを見せてほしいですね。
榮三郎さんが、どうにかして雁助さんの工場を助けたいという思いが平さんとの話の中でも強く伝わりました。金額はかなり大きいですが、「雁助は大切な家族!!」とまで言い切った榮三郎さん、男らしく頼もしくなりましたね!!
うめの心境は・・・
奥さんと二人きりで雁助さんを看病することになったうめ。いったいどんな心境だったのでしょうか?一度は心を通わせた雁助さん。
しかし、その雁助さんは今、家族のもとで幸せに暮らしている・・・。
うめの気持ちを考えただけでも切なくなってしまいます。うめも、もう終わったことと頭ではわかっていても、横たわっている雁助さんを目の前にして心穏やかではなかったはずです。
私なら、なりふりかまわず雁助さんの手を握って「しっかりしてください!目を覚まして雁助さん」と叫び出すと思いますが、しかし、そこは当時の女性、そして、立場をわきまえた大人の振る舞いですね。
ぐっとこらえて妻のツネさんより出しゃばらず、家族には「お仕事がどうかうまくいきますように!」という心使いを持って送り出す。さすがは、一流のお家の腰元ですね。
うめを連れ出そうとした矢先に、娘の病気で家族の元へ戻らなければならなかった雁助さん。そのことを聞いて「なーんやよかった」と心にもない言葉を言ったうめ。
当時の切ない恋を思い出してしまいました・・・。
ツネさんも、意識がない雁助さんの前であんなに愚痴を言わなくてもと、思ったりしましたが・・・。ひょっとしたら、雁助さんとうめの関係にピンときて、自分が奥さんなのよ!と遠回しに言いたかったのかも??
家庭での雁助さんは、こんな人だったのよ!あなたは知らないでしょ!!って・・・。
女性は、勘が働くものなので。本当のところはわかりませんが、なんだか私にはそんなふうにも思えてしまいました。
これからの新事業は・・・
今回の雁助さんの件で、榮三郎さんは真剣に生命保険事業を考え始めます。
そこで生命保険の事を調べてみました。
日本の生命保険は、明治時代に誕生しなんだそうですね。福沢諭吉さんが「西洋旅案内」で『人の生涯を請け合う事』と、紹介したのが今の死亡保障・医療保障・年金に相当するものでした。
まず最初は、1881年(明治14年)に明治生命⇒現;明治安田生命。1888年(明治21年)帝国生命⇒現;朝日生命。1889年(明治22年)日本生命。1902年(明治35年)第一生命。同年に広岡浅子さんがかかわった大同生命が誕生しました。
このように、今では当たり前の生命保険ですが、最初は生命保険表などがなかったためドイツやアメリカなどで使用されていた英国17会社表を用いて保険料率が決められたそうです。
明日は雁助さん意識を取り戻してくれるでしょうか?
早く回復して皆を安心させてほしいですね。
ではでは
感想byあさひめ