NHK朝ドラ 「とと姉ちゃん」
ネタバレ感想1週4話
2016年4月7日(木)放送
とと姉ちゃん1週テーマ「常子、父と約束する」
とと姉ちゃん ネタバレ感想・最終回まで1週4話
暮れも押し迫った終業式の日、常子と鞠子は病で倒れたとと・竹蔵の事が心配で、駆け足で家路を急ぎます。
家では、三女・4歳の美子が意味も分からず、ただととが一日家にいる事が嬉しく、竹蔵の膝の上で甘えています。
軽い症状とは言え「結核」と診断されてからは、竹蔵は子供たちの接触を出来るだけ避けようとしていました。
年が明け、昭和6年の正月。
せっかくのお正月にもかかわらず、三女の美子はととが外で遊べないと不満を募らせます。
それではと、家の中で遊べるものはと常子が言うと、竹蔵はある事を思いつきます。
それは、かか・君子が嫁入り道具と一緒に持ってきた「百人一首」でした。
ところが、いざ始めてみると、君子の強いこと強いこと、そのあまりの速さに常子たちは唖然としてしまいます。瞬く間に、どんどんと札が無くなって行きます。
常子は、なんとか次は取ってやろうと熱が入り、次の句が読まれるのを持ちます。
そして、その句が読まれた瞬間に一枚の札に飛びつきました。「とれたぁ!」常子がようやく一枚取ると、竹蔵と君子は顔を見合わせ笑います。常子の取ったその札は、常子の名前の由来となった句だったのでした。
*鞠子の名前の由来は>>
やがて、小橋家の笑い声に誘われるように外には雪が舞い出しました。家族そろってその雪を眺めながら、初詣は無理でしたが、四月までに竹蔵も病気を治し、お花見に行こうと約束する一家なのでした。
ところが、竹蔵の病は一向に良くならず、みんなの心配をよそに悪化する一方でした。
昭和6年4月。
この頃、竹蔵は小橋家の中でも、隔離された生活を強いられるようになっていました。
常子は、日に日に弱って行くとと・竹蔵が心配でなりませんでした。
そんな中で、常子はなんとか竹蔵を、お花見に連れていけないものかと願うのでした・・・
つづく
とと姉ちゃん1週4話・感想まとめ
困ったととも素敵でした
ととこと西島秀俊さんの誠実で子供思いの人柄が朝から心を温かくしてくれますね!!今朝はそんなととが見せた困った顔!!
常子の名前が百人一首から由来しているという話の流れで・・・次女の鞠子が「私はどの歌から由来が来ているのか?」と、ととに尋ねるシーン。
当然鞠子も名前は百人一首からきているのかと思っていました!ところが、興味津々で耳を傾ける鞠子をよそに名前の由来は「まるまるした体形から来た」と正直に話すとと。
・・・マリのような・・・お餅のような・・・
そんなととの困った顔も素敵でした。ホントに西島さんの優しさ溢れる演技はたまらなく心に響きますね。丁寧な言葉遣い、家族を大切にする姿が余すところなく伝わって来ます。毎朝、心が洗われるようなひと時に感謝です。
元気になったととに会いたい
ととは、結核と診断されてしまいました。子供たちもととが病気になったというのはわかっているものの、末っ子の美子ちゃんはまだ甘えたい年頃。ととの側にいたいという思いがとても切ないですね。
また、同じ妻としてかかのととを隔離しなければならない無念さを想像するだけでも辛いです。自分がかかの立場だったら、かかのように凛としていられるのだろうか?と考えただけで胸が痛くなってしまいました。
そう言えば先日ととが「自分は突然両親を無くし、親戚を転々としたので家族と一緒にいられる時間を永遠とは思えない。この一瞬もがかけがえのない大切なの時間なのだと」話していました。
紅葉狩りの幸せいっぱいの写真・・・。家族そろって食事をすること。当たり前の幸せが実は当たり前ではないことを竹蔵が一番よく知っていたのかもしれません。だからこそ家訓で家族を大切にしたいという思いも強かったのかもしれませんね。子供たちのためにも元気になって欲しいと願わずにはいられません。
当時結核は難病?
現代の結核は治療で治すことが可能となりました。しかし、明治から昭和20年ごろまで結核というと「国民病」と呼ばれ不治の病でした。
現代で言えば「癌」宣告を受けるに匹敵する感じでしょう。昭和30年代後半には、年間30万人以上の発病者にも増加したそうです。
また結核で若くて命を落とした文学者も多かったですよね。正岡子規が34歳・樋口一葉が24歳・石川啄木が26歳で亡くなられています。昭和19年に結核に有効なストレプトマイシンという抗生物質が発見されたことで、それ以降は結核で命を落とす人は少なくなったとの事です。
ネタバレになってしまいますが、竹蔵は今週亡くなってしまいます。まだ始まって一週間もたちませんが、ととのファンは多いようですね!!
早くも「ととロス」になってしまいそうです。
もう少し昭和のお父ちゃんであるととを見たかったな~
感想byあさひめ