国民的キャラクター「アンパンマン」の生みの親、やなせたかしさん。2025年春から放送予定のNHK連続テレビ小説「あんぱん」は、やなせさんと妻をモデルにした作品です。この記事では、やなせさんの生涯を紹介します。
🔳少年期 少年雑誌の愛読が物語世界に興味を持つきっかけに
「あんぱん」のモデル・やなせたかしさんは、1919年2月6日に東京で生まれました。幼少期に父が亡くなり、家族は高知県に移ります。
母が再婚したことで、やなせさんは伯父の家で暮らすことになりました。医者でありながら多趣味な伯父の存在が、やなせさんの興味関心を広げるきっかけとなりました。
少年向けの月刊誌『少年倶楽部』を毎号楽しみにしており、漫画や物語の世界に興味を持つように。高知の中学校を卒業後、東京高等工芸学校図案科(現・千葉大学)に進学します。
学校を卒業後、製薬会社の宣伝部で働いていましたが、1941年に22歳で太平洋戦争に徴兵され、5年間の兵役生活を経験します。この経験は、後のアンパンマン誕生のきっかけとなる重要な出来事でした。
🔳“ハチキン”妻との出会い
やなせさんは戦後、高知新聞社で働いていたところ、妻となる小松暢(こまつのぶ)さんと出会います。小松暢さんは当時新聞社で初めて採用された女性の1人で、職場ではやなせたかしさんの前の席に座っていました。
やなせさんは、すぐに暢さんに好意を抱くようになったそうです。暢さんは高知の女性らしく豪快で、周囲から土佐弁で負けん気が強い女性を意味する“ハチキン”と呼ばれていました。
2人の絆が深まったのは、他のスタッフも含めた東京への取材旅行のこと。男性陣が闇市で購入したおでんを食べ過ぎて食中毒になった際、暢さんが彼らを看病しました。そんな献身的な彼女の姿に、やなせさんはますます惹かれていきます。
やなせさんは、新聞社を退職し上京した小松暢さんを追いかけて東京へ向かい、1947年に2人は結婚します。
🔳54歳で大人気作家に 創作活動に精を出した晩年
やなせさんは長年漫画家として日の目を見ることなく、小松暢さんのサポートを受けながら生活していました。
しかし1973年に54歳で『アンパンマン』の絵本を出版し、1988年にアニメ化されると、人生が一変。
アンパンマンは爆発的な人気を博し、やなせさんは一躍有名人になりました。60歳代からは膀胱癌や心臓病など数多くの病に苦しみながらも、創作活動を継続します。
2011年には視力の低下を理由に漫画家引退を考えたこともありましたが、東日本大震災後に「アンパンマンのマーチ」が復興のテーマソングとして注目されたことで、引退を撤回しています。
そして、2年後の2013年10月13日、94歳でやなせたかしさんはこの世を去りました。病床から製作指揮をしたり、アイデア出しをしたりと最後まで創作への情熱を持ち続けていました。
やなせさんの遺した『アンパンマン』は、今後も多くの人々に愛され、感動を与え続けるでしょう。