アンパンマンのモデルは作者の身近な人 創作の裏に秘められた兄弟の絆

アンパンマンの生みの親であるやなせたかしさんには、戦争で命を落とした弟・千尋さんがいました。弟の千尋さんの存在が、やなせさんの創作に大きな影響を与えたといわれています。

本記事ではやなせさんと弟との絆について紹介します。

🔳やなせたかしと弟との思い出

やなせさんと2歳年下の弟・千尋さんは、幼くして父を失い、開業医だった伯父のもとで暮らしました。

先に養子縁組をしていた千尋さんとは異なり、母親の再婚により後から伯父に引き取られたやなせさんは、肩身の狭い思いをすることもあったそうです。ただし、千尋さんはやなせさんを慕い、剣劇ごっこをして兄弟の絆を深めていきました。

やなせさんの『やなせたかしおとうとものがたり』(フレーベル館)には、病気がちだった弟が成長とともにたくましくなり、兄よりも優秀になったことをうたった詩が収録されています。

やがて戦争が激化し、千尋さんは海軍予備学生になりました。台湾沖のバシー海峡で、敵の攻撃を受けて22歳の若さで命を落としました。やなせさんの『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)によると家族のもとには「海軍中尉 柳瀬千尋」と書かれた木札だけが届いたそうです。

そんな弟の死は、その後の創作活動に影響を与えました。

🔳「手のひらを太陽に」の歌詞に隠された弟への思い

やなせさんが作詞した「手のひらを太陽に」には、弟を失った戦争に対する悲しみや人生の辛さが込められているといわれています。

歌詞を読むと生きることの喜びと悲しみ、そして希望を歌っています。やなせさんは最愛の弟を戦争で亡くし、自身も戦争で大変な思いをしたうえ、仕事で結果を出せないなど多くの苦難を経験しました。

そんななか、やなせさんは、冬の寒い日に手のひらを電気スタンドの光に透かし、血管が浮かび上がる様子を見て「生きている証」だと感じたそうです。

「生きているから悲しい」「生きているからうれしい」といった言葉は、弟を失った戦争に対する悲しみの深さ、そしてその先にある希望を表現しているのです。

戦争への思いと自身のつらい経験が、この歌の根底にあると考えられます。

🔳アンパンマンのモデルは弟

千尋さんの外見や性格、そして生き方が、アンパンマンの特徴と重なる部分があります。千尋さんは明るく愛嬌のある性格で、多くの人から愛される存在でした。

さらにやなせさんによると、幼少期の千尋さんは「コンパスで描いたような丸顔」をしていたそうです。

特攻隊を志願した千尋さんの自己犠牲をいとわない性格は、アンパンマンが困った人に自分の顔を与える姿に反映されているように感じられます。

やなせさんは「アンパンマンは単なるヒーローではなく、困っている人を助ける存在」と語っています。この考え方の背景には、戦争で弟を失った経験があるのかもしれません。

やなせさんの『ぼくは戦争は大きらい ~やなせたかしの平和への思い~』(小学館)では『アンパンマンマーチ』の歌詞に関しても、戦死した弟への思いが込められていると周囲から指摘されたと綴られています。

千尋さんとの絆が、アンパンマンというキャラクターを生み出すうえで大きな影響を与えたのです。

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