朝ドラ「あんぱん」のモデル・やなせたかしと三越の意外な関係

「アンパンマン」の生みの親であるやなせたかしさんは、戦後まもなく三越に入社し、宣伝部でグラフィックデザイナーとして活躍していました。三越での経験は、「アンパンマン」をはじめとする創作に大きな影響を与えたといわれています。この記事では三越時代のエピソードから、やなせさんの創作の原点に迫ります。

🔳やなせたかしと三越の関係

やなせさんは1947年、28歳のときに三越に入社し、宣伝部でグラフィックデザイナーとして7年間勤務しました。

当時のやなせさんは、高知から上京して妻の暢さんと結婚したばかり。生活を安定させるため、漫画家業と三越での仕事を掛け持ちしていました。三越の社内報作りや宣伝活動などに関わることで、視覚的に人々を惹きつける技術を身につけます。

一方で、漫画家グループ「独立漫画派」や「漫画集団」に所属し、漫画家としてのキャリアを築きました。やなせさんは漫画家としての収入が安定した後に三越を退社し、その後も良好な関係を維持しました。
三越はそんなやなせさんの功績を高く評価し、アンパンマン展の開催をはじめ、さまざまな形で作品を紹介し続けています。

三越での経験は、やなせさんの創作人生に大きな影響を与えたのです。

🔳三越でのやなせたかしの偉業

やなせさんが三越で手がけた最も著名な仕事の一つが、包装紙「華ひらく」のレタリングです。半世紀以上にわたり三越の象徴として親しまれている包装紙で、華やかさと上品さが感じられるデザインが特徴です。

包装紙「華ひらく」は画家・猪熊弦一郎さんがデザインを担当し、当時三越の社員だったやなせさんが「Mitsukoshi」の筆記体レタリングを手がけました。猪熊さんは千葉の犬吠埼で波に洗われる石を見て、デザインを思いついたそうです。やなせさんは猪熊さんの斬新なデザインに驚きつつ、デザインの美しさに感動しました。

この包装紙は、日本の百貨店初のオリジナルだったこともあり、大きな注目を集めました。2019年には「グッドデザイン・ロングライフデザイン賞」を受賞しています。

🔳三越での日々がアンパンマン誕生に繋がった

三越の「おもてなしの心」と、やなせさんの「アンパンマン」には、他人を思いやり、困っている人を助けるという共通の理念があります。やなせさんの三越での7年間の日々が、アンパンマンの根底にある優しさに反映されているといえるでしょう。

『もうひとつのアンパンマン物語 人生は、よろこばせごっこ』(PHP出版)によると、やなせさんは他人を喜ばせることを生きがいとしていました。この考え方に至った理由はつらい戦争経験や弟の死、長年仕事で苦労したことにあわせて、三越で「お客様第一」の精神に触れたことが関係しているといえます。

やなせさんが三越で学んだ「おもてなしの心」と「人を喜ばせることの大切さ」が、アンパンマン誕生の背景に大きく影響を与えたといえるでしょう。

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