朝ドラ「あんぱん」モデルのやなせたかしと小松暢:アンパンマン誕生を支えた夫婦愛

NHKの連続テレビ小説「あんぱん」では、やなせたかしさんと小松暢さん夫婦をモデルにした物語が描かれます。暢さんは、やなせさんの才能を信じ続け、「アンパンマン」を生み出す上で欠かせない存在でした。

本記事では、2人の運命的な出会いから子どもたちに愛されるヒーロー誕生までの軌跡をたどります。

🔳やなせたかしと小松暢の出会い

やなせさんと暢さんは、職場である高知新聞社で1946年に出会いました。暢さんは、当時としては珍しい女性記者。広告の集金時に、女性だからと見下す相手を怖がらせるほどの強さを持っていました。

当時メンバーが5人しかいない小さな職場で、やなせさんの向かいに暢さんが座っていました。やなせさんは、雪のように白い肌で明るく元気な暢さんを見た瞬間から好意を抱いたそうです。2人は誕生したばかりの雑誌「月刊高知」の担当となり、取材や表紙制作などの仕事をともに進める中で絆を深めます。好奇心旺盛な性格の暢さんは、やなせさんの創作意欲を刺激しました。

やなせさん自身は大人しい性格だったため、自分にないエネルギッシュさを持つ暢さんに惹かれたのでしょう。

🔳2人が急接近した東京出張と結婚

2人が親密になる転機となったのは、東京出張中の食中毒事件です。やなせさんと暢さんを含む4人のメンバーで東京へ取材に出かけた際、闇市で買ったおでんが原因で3人が食中毒にかかってしまいます。暢さんは食あたりを避けて無事だったため、体調を崩したやなせを献身的に看病したそうです。この献身的な看病に、やなせさんは暢さんへの想いを募らせていったのです。

しかし暢さんには、別の求婚者がいました。その男性は品のある人物で、暢さんの元には高級な果物が届くことも。やなせさんは自分の気持ちを伝えることができずにいましたが、取材帰りの暗い道で暢さんに告白されます。

その後、暢さんは「代議士の秘書になる」という目標を掲げて、先に上京。半年後にやなせさんも彼女を追うように上京し、2人は1947年に結婚します。やなせさんの全財産は軍隊時代の飯盒、暢さんの持ち物はイチゴジャムの缶詰だけという状況でしたが、2人は貧しいながらも幸せな日々を送ります。

🔳最後まで支え合った夫婦の愛のかたち

やなせさんが50歳のとき「アンパンマン」が大ヒットします。暢さんは常にやなせさんの才能を信じ、「収入がなくても、私が働いて支える」と支え続けてきた努力が報われた結果でした。

しかし1988年頃、暢さんは乳がんを発症し、2人の生活は一変します。担当医から「余命三ヶ月」と宣告されたやなせさんは、暢さんを救うために奔走しました。友人の漫画家から紹介された治療法を試し、あらゆる手段を尽くしたそうです。その結果、暢さんの体調は一時的に改善し、体重も増えました。

しかし残念ながら1996年、暢さんは闘病の末にやなせさんに手を握られながら亡くなります。やなせさんは、戦争や仕事のために家族の最期に立ち会えなかったことがありましたが、唯一妻の死に目には会うことができました。

暢さんの存在なくして、やなせさんが漫画家として大成することはなかったかもしれません。暢さんは単なる伴侶以上の存在で、やなせさんの才能を誰よりも信じ、経済的にも精神的にも支え続けた人物でした。

 

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