2024年4月放送開始の、NHK朝ドラ『虎に翼』。
「岩ちゃん(がんちゃん)」こと岩田剛典(いわたたかのり)さんが演じる花岡悟(はなおかさとる)は、ヒロイン・寅子の通う『明法大学』の同級生です。
その王子様のような風貌と紳士的な態度で視聴者の心を掴んでいます。
そんな花岡のモデルとされるのは、正義感あふれる裁判官・山口良忠(やまぐち よしただ)さんです。
ここでは、山口さんの生涯と彼の正義を貫く姿勢がどのようにドラマに影響を与えているのかを探っていきます。
【虎に翼】花岡のモデル|山口良忠さんヒロイン・寅子の間にロマンス?
朝ドラ『虎に翼』には魅力的なキャラクターたちが多数登場しています。
ヒロイン・猪爪寅子(いのつめ ともこ)はもちろん、彼女を取り巻く登場人物たちにも注目が集まっています。
なかでも視聴者や出演者からも「まるで王子様」との呼び声が高いのが、寅子の通う『明法大学』での同級生・花岡悟です。
演じるのは「岩ちゃん」(がんちゃん)の愛称で人気の岩田剛典(いわたたかのり)さんです。
男子学生たちから疎まれていた寅子たち女学生に対して、最初から紳士的な態度で接する花岡。
一方で、寅子と口論になった際には「どこまで特別扱いを望むのか」と発言し、大きな反感を買いました。
この時に山から転落する場面のコミカルな演出がSNS上でも大きな話題となりましたよね。
その後、寅子たちと和解しました。
寅子に素直な真情を吐露する一方で、彼女のピンチには率先して手を貸すなど、頼りになる学友の一人でもあり、寅子に特別な感情も抱いている人物です。
そんな花岡悟のモデル・山口良忠(やまぐちよしただ)さんの実話を紐解きます。
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【虎に翼】花岡(岩田剛典)のモデル|山口良忠さんは佐賀出身で京都帝国大学へ
朝ドラ『虎に翼』花岡悟のモデルとされるのが、劇中の花岡と同じ佐賀県出身の山口良忠さんという裁判官です。
1913年11月16日、佐賀県杵島郡(きしまぐん)白石町にて、良忠さんは山口良吾(りょうご)・クマ夫妻の長男として生まれました。
父親の良吾さんは白石町『八坂神社』の宮司でもあり、小学校教員もしていました。
息子・山口良忠さんは、『佐賀高等学校』卒業後、『京都帝国大学』に入学し、卒業後はそのまま大学院へと進学しました。
やがて『高等文官試験司法科試験』に合格し、1939年4月に25才で『司法官試補』となり、1941年6月27才で『甲府地方裁判所』に着任、晴れて判事として任官されました。
その後山口さんは、1942年に『東京民事地方裁判所』へと転任しました。
そして1946年10月に、山口さん(32才)は『東京区裁判所』の『経済事犯専任判事』へと任命されました。
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【虎に翼】花岡(岩田剛典)のモデル|山口良忠さんの悲劇的な最期
朝ドラ『虎に翼』花岡のモデル山口良忠さんは、正義を貫いたことで悲劇的な最期を迎えました。
なんと『経済事犯専任判事』へと任命されたことがきっかけとなり、彼の運命は思いもよらない方向へと転がりだします。
山口さんが主に扱っていたのが、闇米などを所持することで『食糧管理法』に違反したとして罪に問われていた人々の事案でした。
当時の日本は敗戦直後で、深刻な食糧難に瀕していました。
国から配給される食糧で日々の食卓を賄わなければなりませんでしたが、それでは到底民間人の胃袋は満たされませんでした。
そんな人々が頼ったのが、闇市などでの違法な生活必需品の売買です。
特に主食となる米は入手が難しかったため、闇米がないと人々が健康を保つことは難しい時代でした。
闇米を食べなければ生き延びることができません。
しかし、闇米は違法なため手を出せば罪に問われます。
そのため多くの人々が実生活と正義の間で揺れていました。
山口さんもまた、自分自身の正義と実生活のはざまで大きく頭を悩ませていました。
「闇米を食べている自分が、闇米所持で検挙・起訴された人を裁いてはいけないのでは」と考えた山口さんは、闇米を食べることを拒否する道を選びました。
配給で与えられる食べ物はほとんどすべて2人の子供たちに与え、周囲の人々からの食事の誘いも、物資の仕送りも拒否しました。
そんな生活を続けるうちに、彼は栄養失調により体調を崩していきます。
1947年8月27日、地裁の階段で山口さんはついに倒れてしまいます。
これをきっかけに、彼は故郷で静養することとなりました。
しかし、状態はなかなか改善せず、山口さんは同年10月11日、栄養失調に伴う初期の肺炎で亡くなってしまいます。
享年33歳でした。
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【虎に翼】花岡(岩田剛典)のモデル|山口良忠さんの餓死は国内外に衝撃を与える!
『虎に翼』花岡悟のモデル・山口良忠さんは33歳の若さで亡くなりました。
1947年11月4日、『朝日新聞』が一面で山口良忠さんの死を報じ、良くも悪くも多くの人々が衝撃を受けました。
国内では山口さんの死を根拠に、「そもそも食糧管理法なんて守ることができない法律だ」という論調が高まりました。
一方で、「馬鹿正直すぎだ」と山口さんを卑下する論調も生まれ、当時の首相夫人に至っては「妻の努力不足」との発言もあり賛否両論の意見が飛び交いました。
明確にしておきたいのは、山口さんが闇米を食べなかったのはあくまでも『経済事犯専任判事』の職に就いていた間のみで、静養中は配給以外の食べ物もよく食べており、あくまで職務を全うしようとしただけだったという点です。
また、山口さんの死はアメリカでも報じられました。
当時、反日感情が強いアメリカにおいて、山口さんの死にはある程度の敬意を持った報道がなされるという異例の対応が話題となりました。
GHQは事態を重く受け止め、これがきっかけとなり裁判官や検事など法にかかわる人々の待遇改善が実施されました。
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【虎に翼】花岡(岩田剛典)のモデル|山口良忠さんの死を受けて尽力した人物に驚愕!
『虎に翼』花岡悟のモデル・山口良忠さんの死によって国以外に波紋が起こりました。
この時に裁判官の待遇改善に尽力したのが、日本で初の『最高裁判所長官』に任じられたばかりの三淵忠彦(みぶち ただひこ)さんでした。
忠彦さんの長男は判事の三淵乾太郎(みぶち けんたろう)さんで、なんと彼は後に『虎に翼』ヒロイン寅子のモデルとなった嘉子さんと結婚する相手です。
つまり、忠彦さんは後の嘉子さんの義父となる人物でした。
さらに、山口さんの訃報に衝撃を受けた著名人の一人に、大橋鎮子(おおはし しずこ)さんがいます。
大橋さんは家庭向け総合生活雑誌『暮しの手帖』(くらしのてちょう)の編集代表で、NHK朝ドラ『とと姉ちゃん』のヒロイン・小橋常子(こはしつねこ)のモデルとなった人物です。
山口さんの訃報報道に驚いた大橋さんは、自宅で採れた卵40~50個を集めて、長官・三淵忠彦さんに手渡したのだとか。
忠彦さんは体調を崩して休んでいた裁判官たちに卵を配り、これによって多くの裁判官の命が救われたといいます。
三淵忠彦さんと息子・乾太郎さんを介して、異なる『朝ドラヒロイン』のモデルたちの人生が交差するのは、なんとも興味深いですね。
山口良忠さんの生き方、そして選択は多くの人々に多大なる影響を与えました。
彼をモデルとした花岡悟が、今後ドラマでどのように描かれていくのか、そして彼の死は訪れるのか注目の人物です。
【虎に翼】花岡(岩田剛典)のモデル山口良忠さん!正義感を貫いた男の悲劇的な最期|まとめ
NHK朝ドラ『虎に翼』花岡悟(岩田剛典)のモデル・山口良忠さんの実話を紹介いたしました。
山口さんの短い生涯において貫いた揺るぎない正義感は、多くの人々に深い感銘を与えました。
彼の闇米を拒否する姿勢やその結果としての栄養失調による33才での早逝は、当時の日本社会に大きな波紋を投げかけました。
『虎に翼』で彼をモデルとする花岡悟がどのように描かれ、寅子との関係がどのように展開していくのか、視聴者の期待は高まるばかりです。
そして、モデル・山口良忠さんの生き様は、正義とは何かを問いかける大きなメッセージを私たちに投げかけています。